「親に孫の顔見せるのが、俺にできる唯一の親孝行かな」
元恋人がこう言ったとき、かすかな違和感が胸をかすめた。
なぜ、あなたの親孝行のために私がお腹を痛めなければならないの?

私は子どもを望まないことを伝えると、彼は悲しそうな顔をした

そのときは、私がこの人の子どもを産むと決まったわけではない、と無理やり思いなおして違和感に蓋をした。しかし、付き合いが長くなり同棲や結婚が視野に入ってくると、私は自分が子どもを望まないことをはっきりと彼に表明するようになった。
私は親になる自信がないし、自分の時間やお金は自分のためだけに使いたい。本当に子どもが欲しいのであれば、もう私と一緒にいない方がよいと伝えると、彼は悲しそうな顔をして言った。
「だって、自分の遺伝子残したいじゃん?」

もちろん、子どもが欲しいと思う理由は人それぞれでよいと思う。
出産、子育てを経験することでしか得られない学びもあるはずだ。
しかし、彼の言葉には、産む人である私の気持ちも、産まれてくる子どもの気持ちも一切考慮されていないことが引っかかった。
妊娠や出産によってかかる私の体への負担、私のキャリアの中断、復帰、を想像もしていないから、気軽に子どもが欲しいなどと言えるのではないか。自分が同じ負担を伴うとしても、同じ温度で欲しいと言えるのか。

この社会は地獄だと何度も考えて育った私と、思ったことがない彼

私は、私を産んで育ててくれた両親には感謝している。生きていてよかったと思えたことも今までにほんの少しだけある。そして、きっとそう思える一瞬のきらめきのようなもののために、私たちは産まれてくるのだろうと思っている。

同時に、この社会は地獄だと思ったことは数えきれないほどある。
「子どもに同じ思いをさせたくないから、私は産みたくないよ」と彼に伝えたときも、返ってきた言葉は「俺は地獄と思ったことないよ」であった。
それはあなたが、塾の帰りに胸を触られたことがないからだろう。
その日から毎日後ろを確認して歩かなくてもよくて、エレベーターに乗るときも、玄関に鍵を差し込むときも、緊張しなくていいからだろう。会社で上司に二の腕を触られたことがないからだろう。お茶汲みさせられたことがないからだろう。まず、私がなぜ地獄と感じたかは気にならないのか。

彼とは結果的には別れることになったが、時間が経って冷静になってみると、こんなにひどい発言ばかりする彼の子どもを産む人生を選ばなくて本当に良かったと思う。

自分の子どもを産み育てるのではなく、間接的に子育てに関わりたい

私は、日々うごめく自意識と戦いながら働き、生活し、自分が幸せだと感じることを集めることで精いっぱいで、これからも子どもが欲しいと思うことはないと思う。
一緒に人生を歩んでくれるパートナーがいてくれたらなと感じることはあるが、子どもが欲しいと言われたらと思うと、なかなか出会いの場に踏み出すことができない。
私は自分の子どもを産んで育てるのではなく、間接的なかたちで子育てに関わっていきたいと思う。例えば、時短で働いている職場の女性が、子どもの体調不良等で早退せざるを得なくなったときは、積極的に仕事を引き受け、早く帰ってもらえるように心がけている。
もし妹が子どもを産んだら、私にできることならなんでも協力したいと考えている。
子育ては親だけでなく、社会全体で行うものだと思うからだ。