20代後半に差し掛かる今日この頃、恋愛経験ゼロを宣言したら周囲に引かれてしまった。
まるで、珍獣を発見したかのような視線だった。
「いい大人が恋愛経験もないって…」
「あそこの娘はいかず後家…」
なんて声、私が少女だった頃から、いろんな場所で聞いていた。
その度に何となく悪意というか、蔑んだ響きを感じてしまって気分が悪かった。
とはいえ、私自身も「20代で恋愛して結婚して子供を産むのかな~」なんて思っていた。
いい大人が処女って、そんなに信じがたいことですか?
…ところがどっこい。
ここまでの人生だけでも、勉強だ友達だバイトだ就活だに忙しくて、何より楽しくて、恋愛などそっちのけで過ごしてきた。
だから「恋愛しないのも選択肢、自由じゃない!それ以上に楽しいものがあるのだから」などと、ついこの前までは本気で思っていた。
そんなのんきに生きていた私は、友人のある一言に心をバキッと折られたのだった。
「え、あんたまじで処女なん?」
いつもなら「それが、なにか?」って感じだが、そう聞いてきた友人の顔が何ともいえない表情だった。
「信じられない」とでもいうのか「心配になる」とでもいうのか、そんな表情をしていた。
同じ町で育った同級生が、今年3人目の子どもを出産する。
同じ頃、そんな噂を耳にした。
やはり自分がおかしいのかもしれないという不安と焦燥に駆られ、お先が真っ暗な気分になった。
恋愛や性の経験がないことはそんなにおかしなことなのか?
自分と世間の女性、ひいては人間全体と距離ができたような気がした。
多様な生き方ができる現代で、なぜ大人処女は珍獣扱いされるのか?
たしかに、私たちは同じ人間という生き物で、同じ星に暮らしていて、社会通念を共有することは多い。
しかし、耳にタコができるくらい多様性とかなんとか叫ばれている現代で、どうしてこれだけは自由にならないんだろう。
どうしてみんなと同じじゃないと不思議がられるんだろう。
こんなに心許ない気持ちにさせられるんだろう。
同じ人間だけど、それぞれの自我で生きているのだから、個体によって生き方は様々なはずなのに。
少し考えればわかることなのに。
周囲の人には、私が珍獣のように映っているかもしれないな。
それなら尚更、自分を曲げられない。
珍獣の私にはポリシーがあって、それは今1番楽しいことを選択して生きるということ。
恋愛は今、選択肢に上がってこないだけのこと。
そして、誰のためかわからない社会通念のために、無理矢理恋愛しようとするのは私のポリシーに反する。
「なんで?」って聞かれるのはやっぱり怖いけど、この考えは変えずにとりあえずこのまま生きてみようと思う。