私は一人っ子なのだが、周りからはそのように見えないらしく、いつも妹か弟がいそうと言われる。無邪気で甘えたがりの母が、私にとって妹のような存在だったためだと思う。
「結婚から遠ざかる女」として母に見下されている気がした
自立心の強い子どもだったためか、私が小学校高学年になると、母が私に甘えたりわがままを言ったりし、私がなだめるという、通常の親子とは逆の構図が出来上がっていた。
当時の私はそれを子どもでなく一人の人間として信頼を得ている証のように感じ、また仲良し親子の象徴であるようにも思っていた。
母との関係が重荷になってきたのは、高校受験の頃だったと思う。
母は受験勉強中の私におかまいなしに話しかけてきたり、テレビを一緒に見ようと言ってきたりした。本人は悪気がなかったのかもしれないが、自分の都合で勉強を中断させる無神経な行為としか思えなかった。
大学受験の頃からは、母との価値観の違いに悩まされた。
私は安定した企業に就職し家族を支えるべく、おしゃれもそっちのけで必死で受験勉強をしていたが、母は「女の子は結婚さえすればいい、良い大学に入る必要はない」と言っていたので、合格した時も心から喜んでくれているとは思えなかった。
また、それまでは自分の交友関係などをよく母に話していたのだが、せわしない毎日の中でいちいち説明するのもおっくうになり、会話も減った。
就職のときも同様で、母は私が大手企業に就職したことを喜んでいたが、本音では認めてくれていないように感じていた。
今は女性の大卒総合職も当たり前になっているが、母は当時多くの女性がそうしたように、短大卒一般職で働き寿退社をする道を歩んできたのだ。私は「結婚から遠ざかる女」として母から見下されているような気がしてならなかった。
実家の困窮を無視して一人暮らしするのは…。反対を押し切れなかった
気づいた頃には、夫婦仲の悪化や更年期も相まってか、母の情緒が不安定になってきた。
「私が生きている意味はなに?」と泣きじゃくる母に、何も言葉を返すことができなかった。
母の孤独を背負えるほどの余裕が自分にないことを申し訳なく思いながらも、同時に娘の私が母を精神的にフォローすることの重苦しさで押しつぶされそうになっていた。
社会人2年目の時に一人暮らしをさせてほしいと再三頼んだが、母は「寂しい」「結婚するまで実家にいればいい」「お金がもったいない」と大反対だった。
私は自分の奨学金を返済しながら、実家の生活費・借金返済にも相当額の援助をしてきた。加えて一人っ子なので、両親に何かあったときに面倒を見るのは私しかいない。私個人の収入・貯金は問題なかったのだが、実家の困窮を無視して一人暮らしすることが後ろめたく思われ、反対を押し切ることができなかった。
新型コロナの影響で在宅勤務が増え、改めて一人暮らしを考え始めた。私による実家の借金返済は焼け石に水状態であり、自分はこの家の借金を返すためだけに生まれてきたのだろうかと考えるほど、心身が限界にあったことも理由である。
親の人生は親のものであり、私は私の人生を歩む権利があると気づいた
周囲の友人からも後押しをうけ、親の人生は親のものであり、私は私の人生を歩む権利があると気づいた。父には経済的に、母には精神的に自立してもらわなければならない。
そこで私は、現在の仕事やキャリアプラン、独立の背景・目的、そして実家の立て直し案まで、パワーポイント30枚で丁寧に説明した。自分のやりたいこととその理由について、自分自身と向き合いながら整理するのは難しく、準備には約2週間かかった。説明の途中で話の腰を折られないか心配だったが、今までにないプレゼン形式によって私の真剣度合いが伝わったのか、意外と真剣に聞いてくれた。父は自身の事業・収入源の見直しに向き合うようになり、そして母はようやく私を一人の社会人として見るようになり、独立を了承してくれた。
今までは母に謝りたい内容が「お母さんの望むような娘になれなくてごめんね」だった。
しかし今は、「支えてあげられなくてごめんね。お母さんとは違う生き方だけれど、私が私らしい人生を歩むことを許してね」と伝えたい。そして、独立という選択が本当の意味での親孝行となることを願っている。