「ゆずれなかったこと、ゆずったこと」という今回のお題に出会う前まで、自分は元来特定のモノやヒトに執着しないタイプで、こだわりの薄い人間だと思っていた。
だから、何かをゆずれないほど強い気持ちで固執したこともなければ、何かをゆずったことで悔しい思いをしてきたことはあまりない、そう考えていた。

「ゆずれない」と、わざわざ意識せずとも自分の意見が通った

しかし振り返れば、家では子供の言うことにしっかりと耳を傾けてくれる両親と優しい姉に囲まれ、学校では学級委員や行事のリーダーを務め自分の意見を最善策だと押し切り、全体に通すことが多かった。
いわゆる、家では甘ったれで、学校では陽キャでカースト上位にいたのだ。
そのため、「これはゆずれない」と、わざわざ意識するまでもなく自分の意見が通ったし、その上自分の意志を曲げて「ゆずる」ことを知らず、どちらかというと、「ゆずられた」「ゆずってもらった」ことが多い人生だった。
意思表示をする際に折れた経験が少ないため、その分、自分のこだわりに気づくことすらなく来たのだった。

そんな私の人生でも、中学時代は傍若無人のピークだった。
吹奏楽部の友達に、「まよ達バスケ部って何の曲が好き?」と聞かれ、お気に入りだったスピッツのチェリーと答えると、分かったとの答え。当時片思いしていた幼馴染の男の子、仮に彼をA君だとすると、スピッツのチェリーの歌詞の中にA君の名前が出てくるから好きだったのだ。
結局一年に一度の合唱コンクールを兼ねた学習発表会で、吹奏楽部が自由演奏曲に選んだのは、私が答えたスピッツのチェリーだった。私たち周辺(当時私はバスケ部に所属していた)のメンバーが盛り上がれば、最終学年だった私たちの学年全体が盛り上がるであろう、という判断だったらしい。そして実際、大変な盛り上がりを見せた。
そんなわがままが通るほどの私たちの無敵感、万能感。中学3年間で「ゆずった」ことなどないのでは、と思えるほどであった。

A君に片思いしている友達を、表面上は応援することすらしていた

でもそんな調子に乗っていた私でも、中学時代上手くいかなかったことがあった。そう、恋愛だ。
幼馴染のA君に、私は片思いしていた。片思い中って、最も「ゆずれない」という気持ちが強くなる時期ではないだろうか。当時の私にとって、A君しか目に入ってこなかったし、考えることといったらA君のことばかり、友達と話すのは8割お互いの好きな人についての恋バナ。A君しか勝たん、他の人にゆずれん。まさに夢中だった。

私にとって不幸なことに、A君は学年で一番モテる男の子であった。同じクラスの女子だけでも、私をのぞいて3人のライバルがいた。
なぜそんなことを知っているのかというと、カースト最上位であった当時の私は、クラス中の女子全員と授業中手紙のやり取りをする等(当然成績は右肩下がりであった)、「情報通」であり、クラス中の女子の恋愛事情に精通していた人気者だったのだ。

そしてここからが私のずるい所で嫌な所でもあったのだが、クラスメイトの恋愛事情・片思い事情を聞く一方で、自分自身はA君に片思いしていることを殆ど誰にも明かさず、A君に片思いしている友達を表面上は応援することすらしていたのだ。
実際はみんなにいい顔するばかりで、自分の恋心を、誰を信用して、誰に話していいのか分からなかった。でもみんなの秘密を一方的に知っていて、しかし自分の秘密は隠していても許される。そんな驕りがどこかにあったかもしれない。

そんな私が痛い目を見たのは、A君に告白したときだった。みんなの片思いを知っていて表面上の応援が苦しくなっていた頃、そんな状況に耐えられなくなり、告白することに決めた。
それがみんなを裏切る行為だとは思っていたし、受け入れられる自信はなかった。が、限界だった。

世の中思い通りにはいかないと、謙虚さを学んだ気がする

「好きです、付き合ってください」
という私の言葉に、A君は一瞬すべての動きを止め固まった。言葉を探しているのだ、そう思った。
「お前のことは良い友達だと思っている。でもそれ以上に思えない。ごめんなさい」
返ってきたのはそんな言葉だった。

泣いた。勉強でもスポーツでも人間関係でもゆずることを知らなかった当時の私が、一番ゆずりたくない相手、片思いで想いを遂げることができなかった。常に人から受け入れられることが普通だった私にとって、初めての拒絶だった。

一週間後、A君はクラスメイトの私が表面上応援していた女の子に告白され、付き合い始めた。私のようにずるいことをせず、片思いをどうどうと公言し、どうどうとぶつかっていた子だった。
彼女がA君と付き合い始めたことを一番に知らせたのは、私だった。「応援してくれてありがとう!お陰様で付き合い始めることとなったよ」というメールに「おめでとう!良かったね」と返信を打ちながら、涙が止まらなかった。

今思えば、最もゆずれないもので「受け入れられなかった」経験、当時の調子に乗っていた私には良い経験だった。そしてもしあの場で告白を受け入れてもらい、付き合い始めることとなったら、A君のことが好きで私が応援している(はず)のクラスメイトから非難囂々だっただろう。だから、平和な中学生活を送る上では、そして調子に乗り過ぎないためには、振られて正解だったのかもしれない。
A君に振られたことで、世の中思い通りにはいかないものだな、と謙虚さを学んだ気がする。私には必要な痛みだったのだ。

スピッツのチェリーは名曲だ。そのため、27歳の今も、街中で歩いていたり、店に入ったりすると、たまに出くわすことがある。
そんなときにいつも、あの無敵だったころの自分、ゆずることの知らなかった自分の初めての失恋を思い出して、一抹の切なさと懐かしさが胸のあたりにたちこめてくる。