小さな段ボール1箱、ノート1冊と1.2GB。
それだけが、私と彼が一緒にいた証だった。

初めての彼氏との関係は、互いの進学を機にあっけなく終わった

彼との思い出は、捨てられないものばかりだ。
一緒に勉強した参考書。初めてデートをした時に着ていって褒めてくれた服。お土産にもらったマグカップ。誕生日プレゼントにもらった手帳、そこに挟まっていた手紙。一緒に登った展望台の入場券。あの時行った映画のチケット。日記を綴った一冊のノート。
捨てられないものは、ものだけじゃない。
一緒に撮った写真。フォルダを分けて保護をしたメール。LINEの履歴に着信履歴。嬉しくて撮った私に関するSMSのスクリーンショット。あの時聞いてきたプレイリスト。
データにすればたかが数GB。それだけのものが、私には捨てられない。

高校時代にできた初めての彼氏との関係は、お互いの進学を機に呆気なく終わった。
地元の大学に進む私とは違い、上京を決めた彼にとっては、重くなり冷めかけた恋愛なんて未来に連れて行くには値しなかったんだろう。遠距離でも一緒にいたいと思っていた私には、この結末はあまりにも残酷だった。
いつかどこかの漫画で読んだ『失恋は人を殺すのよ』という台詞を思い出し、ああ確かにこの痛みには殺人罪が適用されるべきだとか、バカなことを考えながら、浸かっている湯船が冷めているのにも気づかないような日々を送っていた。

思い出は鮮やかなのに、残ったものはあまりにも少なかった

彼の気配が濃い自分の部屋が耐えられなかった。初めてのきちんとした失恋に戸惑いながら、彼に関係するものをとにかく段ボールに詰めた。
普段使っていた携帯からパソコンにデータを移し、本体からはすべて削除した。思い出を消す覚悟もない、けれど普段目に入るのは耐えられない。失恋初心者の私にできた精一杯の対処法だった。
そうして片付けた生活に残ったのは、小さな段ボール1箱と、ノート1冊と1.2GBのデータ。思い出はこんなにも鮮やかなのに、物量としてはあまりにも少ない。たったそれだけが、私と彼の思い出の全てだった。
私はそれを、クローゼットの奥深くにしまい込んだ。

私ばかりが捨てられない。今頃、東京での初めての一人暮らしで何物にも縛られない彼の手元には、私との思い出なんて何一つ残っていないだろうということは想像に難くなかった。
事実として気づけばSNSはブロックされていたし、きっとフォルダーを圧迫していたメールは削除され、私がいた証なんて何一つなかったように、上から新しい色を重ねているんだろう。彼にはこの街の全てが灰色に見えていて、その中には私も含まれていたのだ。

年に1、2回電話で話し、近況報告をするだけの奇妙な関係

何もかも切り捨てたと思っていた彼は、意外にも時々電話をかけてきた。
年に1、2回あるかないかの着信。思い出すら捨てられない私にその電話を無視できるだけの覚悟はなく、その度に近況報告をするだけの奇妙な関係が続いた。

東京での彼は、まるで水を得た魚のように、地元では見たことがないほど生き生きとしていた。部活の人間関係で悩む彼も、目白駅のお気に入りの喫茶店で本を読みながら一服することが至高だという彼も、気になる女の子ができたと話す彼も、どれも私が知らない未来を生きている彼だった。
聞きたくないような話も沢山あった。けれど、こんな縁ですら私は捨てられなかった。

大学生から社会人になった彼は地元に戻ってきた。お互いが就職しても、まだ奇妙な関係は続いていた。
最近は転職のために引っ越した先で見つけた、珈琲にこだわりのある喫茶店で読書をするのがお気に入りの休日の過ごし方らしい。
最近読んでいるドストエスフキーの『カラマーゾフの兄弟』のあらすじを一通り話し終えた後、何気なく彼が言った。
「高校の時にもらったブックカバー、ボロボロになったけど今も使っているよ」
私は耳を疑った。
高校3年生の時、付き合っていた彼への誕生日プレゼントでブックカバーをあげたことがあった。彼は、そのブックカバーをずっと使っていたのだ。

私があげたブックカバーだけは、いつも彼と一緒だったらしい

大学進学のタイミングで地元に残った私と、上京した彼。ついていけなかった東京に終わった関係。私は彼が大学生活で肌で感じていた出来事を、横で見ることは叶わなかった。就職を機に地元に帰ってきてからも、会うことはなかった。そしてすぐ転職をした彼は、また私の知らない土地へと引っ越していった。
ずっと一緒にいたいと思っていた。でもそれは叶わなかった。けれど、私があげたブックカバーだけは、この7年どこにいても連れていってくれていたのだ。
それだけでこの思いが救われた気がした。捨てたくても捨てられなかった私とは違っていたとしても、その事実だけで十分だった。

その後、ついに私と彼との縁は本当に途絶えた。何の名称も持たない関係らしく、終わりらしい終わりすらもなかった。
私から連絡をすることもない。けれど、きっと彼は今日も、どこかの喫茶店で珈琲を飲みながらボロボロのブックカバーをつけてお気に入りの本を読んでいるだろう。
そんな彼の姿を想像しながら、そろそろクローゼットの奥の宝ものを捨てられるかもしれないなと、私は思った。