ゴシップなんていう簡単な娯楽に私の心が揺れ動かされるなんて、感情がもったいない。記事の中で、まるで本当かのように書かれる本人以外が語る愛を、私達は知る必要はないと思う。
芸能人のゴシップ。その中でも私は、世界中が祝福している雰囲気になる“共演したあの二人が!”というようなゴシップが特別に嫌いだ。まるで世界中がそのカップルを祝福しなければならないという、一種の強制力さえ感じる。
結ばれたニュースも、噂レベルのゴシップ記事も嫌いだ。ああいった記事を真実だと信じる時期はとうに過ぎたけど、あれで一喜一憂するSNSを見ていると疲れてしまう。
人の恋愛話をお酒の肴にして、簡単な幸福を感じる人々を見るとばからしくて。本人の知らないところで、愛について語られている状況の歪さに疲れる。

見飽きた見出しで、あることないこと追いかけまわされて可哀想

私がこんなにも毛嫌いするには、理由がある。それは、私が応援していたアイドルが今でもゴシップのネタにされ、二人が結ばれるのを世界中が望んでいるような空気が流れているから。
一つの時代を作ったあのラブストーリー。御曹司と貧乏娘のあの恋物語に世界中が恋をした。私もあの子も、あの子もときめいた。最近また他国でリメイクされ、今でも人々の心をときめかせている作品だ。
恋愛ドラマで共演した二人がお似合いだと話題になるのは、とても喜ばしいことだと思う。ドラマ以外の露出も増えて、目にする機会も増える、ドラマの調子もよくなる、もしかしたら続編が……と、本人の人気に火をつける重要なポイントだ。だから、お似合いだと世間で話題になることは悪いとは思わない。
だけど、簡単に“近々ゴールインか!?きっかけはあのドラマ”と、見飽きた見出しで作品名と名前が変わるだけのゴシップ記事を何度も目にしていると、ちょっとした同情心が生まれてくる。
あることないこと追いかけまわされて可哀想だと思う。そして、私が応援しているその人は、もう幾度となく繰り返されている。“3年愛!?”、“5年愛!?”と時間だけが書き換えられていく。先日、“17年愛!?”なんて見出しで書かれた記事を見た時は、人一人が成人するよ……と呆れた。
それでも、その度SNSは盛り上がる。17年間ときめかせる人気と、今でもゴシップ記事を信じられる人がいることに驚きを隠せない。

愛の形は自由なのに、有名人は未だニューノーマルから程遠い場所

でも、私はいつしか気づいた。他人の愛について、簡単に口出しするものではないと。
この時代、愛の形ほど自由なものはない。一人一人違う愛の形を持っている事を、私は歳を重ねるごとに身に染みて感じるようになった。
20歳の年の差で結婚した友人。アプリでの出会いは今じゃ超スタンダード。昨今は、同性愛作品も増えた。SNSには自由な愛の表現であふれ、周りを見ても愛の形は様々で、自分の価値観だけではひとまとめにできない。だから、新しい愛の形というニューノーマルな価値観が世界で当たり前になったと思っていた。
だけど、思ったより世界は変わっていなくて、異性のファンを多く持つアイドルや俳優には、未だニューノーマルは程遠い場所にある。人気稼業であるが故の宿命なのかもしれない。
でも、彼も彼女も私達と同じ人間だ。自由な愛の表現が出来る今、私たちはもっと自覚して相手に問わなければいけない。愛という繊細な気持ちを、私たちはもっと丁寧に扱うべきなのだ。

彼ら彼女の仕事の全てを、真実として受け取らない価値観を持つべき

ゴシップ記事は、自分が熱狂したドラマの二人が現実として現れ、それはどこか夢が叶うような感覚に近いのかもしれない。それに、自分が何もせずともただ享受するだけで楽しめてしまう、どこか手軽な娯楽という面がある。
一つの小さな記事に想像を掻き立てられ、まるで本当かのようにSNSの海に放り出される言葉たち。ファンの可愛い妄想の域を超え、それはエゴへと形を変える。私たちは、彼ら彼女の仕事の全てを、真実として受け取らない価値観を持つべきだ。
だって、私たちの関係は、一生交わらない他人だから。簡単に言えば、表面だけを見ているよく知りもしない人で、そんな他人の繊細な部分について語ることの歪さ。
私たちは、愛をもっと丁寧に扱い、自分以外の愛の形を勝手に語るなんて娯楽から手を放すべきなのだ。