私は日本を愛している、なんて書くと右翼の急進派の人間だと思われるかもしれないが、私はとても純粋な気持ちでこの国のことが好きだ。
太古の昔から自然災害はつきもので、何度も倒れ、立ち上がり、国が開けてからは外国からもたびたび攻撃され、そのたび倒れ立ち上がってきたひたむきな強さがあるからだ。
まさに日本の強さはこの七転び八起きの精神にあり、それゆえ日本人は粘り強くよく働き、その真面目さから生まれる日本の製品は緻密で性能が良く、世界を魅了し、経済大国となりえたのではないか。

◎          ◎

しかし、とかく現代は、「日本は終わりだ、外へ出ろ」という声が至る所で聞こえてくる。大学時代に国際関係の学部にいた私は、そのような声に影響された海外志向?の学生に囲まれて居心地の悪さを感じていた。日本なんて出て外で働きたい、外に住みたいという声が大きい中で、私は日本が好きで誇りに思っているから、日本の良さやノウハウを世界に役立てる人になりたかった。
卒業後、私はヨーロッパの某大学院に留学した。あろうことか、この遠いヨーロッパで、日本はここまで存在感が無いのかと落胆することになった。

これまで私は、海外の人が持つ日本にまつわるイメージを「経済大国」「日本製は人気」「日本人は勤勉」などと思っていた。が、現実は淡白なものだった。

彼らは日本を遠いアジアの一国としか見ておらず、文化や言語は中国や韓国とほとんど同じと見ていた。日本のイメージは?と聞くと、「よくわからないけど、変わっているイメージ」「漫画やアニメは有名だよね」と返ってくる。もちろん、日本が好きで詳しく知っている人もいたのだが、大体が「そんなこと今まで考えたこともない」という様子だった。

◎          ◎

多くの人が、アジアにある国はまとめて認識し、個別具体的なイメージは「中国は経済大国で、中国人は世界中どこにでもいる」「韓国の芸能が人気」というくらいで、その他の国についてはあまり印象が無いようだった。
私が、日本ではメジャーではない分野を専攻していたから、日本と縁遠い学生が多かったのかもしれない。陸続きのヨーロッパでは文化を共有しているから、同じ地域はまとめて認識する癖があるのかもしれない。
そうはいっても、悪印象どころかそもそも印象が無いというのは、拍子抜けした。さらには、勤勉だと思っていた国民性も、早朝から深夜まで勉強漬けの現地の学生を前にあまり説得力を持たず、いよいよ日本への誇りが揺らいでしまった。

あるとき、ジャパンと店名についた写真館で買い物をした。
店名にジャパンとついているから日本と何か関係があるのかと思って店員に聞くと、「昔のことだけど、カメラは日本製が良いと評判だった時代があったんだよ。その頃にできた店だから、印象良くしたくてね」と教えてくれた。
そうか、日本のカメラが良いというのも、もう過去のことなのか。スマホのカメラが高性能になり、カメラを買わなくなった現代には当たり前の話だが、正直なところ、もっと良い答えを期待してワクワクしながら聞いてしまったので、「私はいったいいつまで日本の過去の栄光に囚われているのだろう」と、高揚していた心がスッと静かに落ち込んだ。

◎          ◎

今の時代を冷静に見つめて、日本が世界に誇れるもの、大国として胸を張って世界に誇れるものは何かと考えると、答えは意外と難しい。
日本製というブランド力はそこまで落ちてはいないかもしれないが、世界の市場を牽引していた製品たちは、時代が変わり、多くの人が求めなくなっている。プライベートを押してまで仕事に身を捧げた勤勉な国民性は、心労をきたし家庭が蔑ろになり性別間の不平等が生まれ、結果としてワークライフバランスを重視するようになり、かつてほど仕事への熱量を感じない時代となったようだ。
漫画やアニメは海外でも人気なので、それは強みと言えるのかもしれないが、その分野でさえ、大国として君臨するほどの後ろ盾になり得るのかと考えれば、私には疑問が残る。ここまでくると、いっそ世界に誇るものを持たなくて良いのでは?とさえ思えてくる。
強い経済は環境を破壊し、我慢強い国民性は心身を壊してきた。日本が嫌だ、外に出たいと言っていた同級生のほうが、現実を見ていたのではないか?
強く美しいと思っていた国の肖像は、たちまちぼんやりとした。

◎          ◎

しかし私は、日本が、この何度となく災難を迎えても立ち上がるこの国が、ひたむきでとても好きなのである。もっと言えば、この日本を世界に誇りたいのである。そしてこの想いは、ただの私の身勝手な理想というには勿体無く、現実主義の観点からも必要なのである。
資源が無く、軍事力も制限されているこの国が自立して生きていくためには、何がしかの強みが必要だからだ。この国を、この国に住む人もそうでない人も、好きであってほしいし、一目置く存在であってほしい。
国の強さを支える力の形は様々だ。経済力か軍事力か、はたまた外交力か、文化の力か。かつて経済力を国の要としていた日本は陰りを見せ、経済の力を取り戻そうと躍起になりつつも、新たな方向性を模索して予想以上に長いこと迷走している感じがする。

私はこの国の政治を司る人々に、日本が強く誇り高く美しくいられるよう、道筋を示してほしいと思っている。幾度となく立ち上がった日本の底力を、時代に合った形で引き出してほしいと思っている。現代日本の国力とは何かを、時代に合わせた倫理観を蔑ろにせず、議論してほしい。
七転び八起きで起き上がってきたこの国が、こうも存在感を無くしていくのは、やはり寂しい。