着付け会場ではたくさんの卒業生たちがひしめきあっていた。年配の女性スタッフたちがあちこちに散らばり、同時進行で着付けを捌いていく。
私の両肩の高さが違うため、スタッフたちは着物の下にタオルをパットのように重ねて、低い方の右肩を嵩増ししてくれている。しかしいくら重ねても差が埋まらないようだ。
「ちょっとこれ……ひどいわね」
ヒソヒソと言っているのを目の当たりにし、さすがに少なからずショックを受けた。

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自分が脊椎側弯症と知ったのは、就職前の内定者健診の時だった。
胸部X線で肺を見る検査だったのだが、映り込んだ背骨が曲がっているとの報告があり、整形外科で精密検査をした。曲がっている角度も20度以上とのことで、画像で見るとなかなかきついカーブを描いていた。

よくこれで何事もなく生きられるなと思うくらいで、これまで一度も指摘されたことがなく過ごしてきたことも不思議に感じられた。中学の同級生にも同じ病気の子がいたが、彼女は毎日コルセットをつけて生活していた気がする。
それでも、言われてみれば確かに、自分の体の歪みについては写真を見てたびたび気になっていた。しかし私はどこかのんきで、「受験のために重い荷物を片側に持っていたから一時的に歪んだだけだろう」と高を括っていたのだ。
しかし調べてみると、側弯症は今の医療では治せないらしく、進行して健康に実害のある場合には背中を全部開くような大手術を受けるほかないらしかった。

思い出してみると、学生の頃にバイト先の飲食店で店長に怒られていたのも、もしかしたらこれが原因なのかもしれない。
「ちとせは身体がいつも右に曲がってる。ちゃんとまっすぐして」とよく注意されていたのだ。
どれだけ気をつけても直すことができず、たびたび痺れを切らされていたが、まさかそんなことが理由だったとは。

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着付け会場でひとり、タオルをてんこもりにされた右肩を見るのはやはりなかなか厳しく、鏡から目をそらすしかなかった。
私が卒業式のために選んだのは、紫の着物に金系の入ったベージュの袴だった。深い色の地に朱と白の花がちらほらと入り混じり、落ち着いたなかにも華がある粋なデザインなのだ。
でも、そこまで目に見えて身体が歪んでいては、いくら着飾っても化粧を施しても、全て馬鹿馬鹿しいものに思えてならない。

着付けを終え、心なしか目を伏せて会場まで向かうと、ゼミの仲間が待っていた。色とりどりの着物が目に眩しい。が、一方で華やかな色合いのなかに入っていくのが、なんだか少し気後れする。

「え、ちとせちゃん……きれい! なんかすっごくいい!」
同期の子が一声。一瞬にして自分の顔色がパッと明るくなったのが分かった。お世辞かもしれない、でも、ものすごく嬉しい。
そこからは普段の自分に戻って、お互いに着物を褒め合ったり、内定先の話を共有したり、夕方の謝恩会で着るドレスについて訊いたりした。

今も、普通に生活していると、自分の身体の左右のバランスなど忘れていることが多い。
彼女の一言も嬉しいものだったが、できることなら自力でそのことを忘れられたら、どれほどいいことだろうか。
細かい小ジワなど飛ばしてしまえるライトのような、コンプレックスを忘れる強めの明るさが必要なのかもしれない。