自分の服ではない。あんな振袖、自分では買えない。着たのはたった二回。でも、全く違う二回。
母親の実家に置いてあった、扇の模様の叔母の振り袖に初めて袖を通したのは、成人式の日。私はなんとも言えない不満と、不安と、モヤモヤでいっぱいの1日を過ごした。
友人達が何カ月も前から楽しそうに振り袖のカタログをみて、前撮りの日程を決め、当日会場に一緒に行く友達からの誘いもきているのに、お金がなくて前撮りどころか振袖を着れるかどうかも分からなかった。

成人式の日。おしゃれの仕方も自分に何が似合うのかも分からなかった

近所で安く着付けしてもらえる写真館のチラシを見つけてきてくれたのは母だったから、その点は感謝してはいる。ただ、当の母は、とにかく着物や着付けというものが苦手で、自分自身は成人式には出なかった、と言って時折どこか冷めた目で私を見る。それでも一応記念に写真を撮る。
親の心はよく分からない。長い間、受験が全てだったから、おしゃれの仕方も、自分に何が似合うのかも分からなかった。一式全て、母の実家にあったものを持っていった。着物も帯も、少し古いけどしっかりとした素敵なものだった。
帯揚げの緑が好きじゃなかったけれど、「色なんて選べなくて当然」と我慢した。でもやっぱり、緑は嫌だった。同じように、髪飾りも今思えば素敵なオレンジだったけれど、自分には似合ってない気がしたし、帯揚げの緑と合わなくて違和感しかなかった。
初めての化粧は、下地はあまり肌に馴染まないし、目元も切れ目みたいで自分のキャラとは違う気がした。

浪人したのに第一志望に落ちて、毎日の学校生活が楽しくない時期

市内の成人がみんな集まるだけあって、会場はごった返していて、一緒に行った友達とは途中で別行動したきり、偶然一緒になった別の友達と帰ってきた。
うまく歩けなかったけれど頑張って式典に出て、昼過ぎまで何も食べれずお腹をすかしながらなんとか帰宅して、すぐに着物を脱いだ。髪もすぐにほどいて、化粧と一緒にあっという間に洗い流した。
夜にはまたバーでお祝いパーティーがあって、お気に入りの洋服で行ったけれど、そこではワンピースかドレスを着て来るべきだったこと、髪はほどかずアップのまま来るべきだったことが、着いてから周囲の姿を見て分かった。
後から振袖を着た自分の写真を見て、ホントに最低限で済ませた成人式だけれど、行かないよりはマシだったかな、と自分に言い聞かせた。思えばあの頃はまだ、浪人したのに第一志望に落ちて、地元の友達に進学先を言うのが嫌で仕方なくて、毎日の学校生活が全く楽しくない時期だった。

必死につかんだ修士号を祝う日。心から「ありがとう」と言える自分

その6年後、また同じ振袖を、今度は大学院の卒業式で着ることになった。6年の間に、留学、就職、旅行、大学院での研究、たくさんの場所でたくさんの人と出会い、色々な経験をしてきた。
どんな服装でその日を迎えるか、自分はどうしたいのかが分かるようになっていたし、自由に使えるお金もあった。着物に合うレンタル袴を自分で選び、自分で半襟を縫い付け、化粧は普段のメイクを落ちないように少しだけ濃いめにして、髪も一番しっくりくるハーフアップにした。
何より、今度は勝手にやってきた成人式ではなくて、必死につかんだ修士号を祝う日だ。研究成果は完璧ではなかったかもしれないし、足りないものだらけの自分だったけれど、それでも共に2年間を頑張った友人たちとの卒業式は、特別だった。
成人式と大学院の卒業式。どちらも同じ着物を着ていて、どちらもそれまでの人生でたくさんの人にお世話になったことを感謝をする日には違いない。だけど、心の中は全く違った。
「おめでとう」と言われて、心から「ありがとう」と言える自分がそこにいた。あのモヤモヤした成人式があったから、悔しさをバネにここまでこれたのかもしれない。そして、そのことに気づけたのは、あの着物があったから。