先日、くら寿司で従業員が退職に追い込まれたニュース記事を見た。
“その”分野を学んでいる人間として、どのような内容か見ておいた方が良い、しかし、内容によって一日中憂鬱な気分にならないだろうか。悩んだ末、勇気を出して記事を読むことにした。
読み終わったあと、どっと疲れが出た。頭の中は先の見えない課題意識、心の中はおぞましい負の感情で占められた。

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現在、私は発達障害について勉強をしている。最近は発達障害に限らず、他の障害についても勉強をするようにしている。なぜなら、障害を重複している人も世の中に多くいるからだ。そして、学びを深めていく中で、まだまだこの国の人々の障害を持つ方への偏見がなくならないこと、差別意識を丸出しにして当事者を傷つけ続けることを痛感した。

例えば、就職活動における適性検査。
私の思い込みかもしれないが、適性検査の内容と発達障害の検査をする際に使われる質問紙の内容はよく似ている。以前、適性検査が、実は診断されていないグレーゾーンの障害者をはじくための検査ではないかと、SNS上で噂になった。
初めはその噂に疑いを持っていたが、いざ質問紙を見ると考えが変わった。あながち間違いではないと思うようになった。
障害者雇用の賃金も、まだまだ低いままだ。
任される仕事も単調で簡単なものと限られている。都心部では、障害者もそうでない人も同じようにお給料を出し、障害を持つ人それぞれの特性にあった仕事を任せて貰える会社もあるが、一握りだ。また、就労支援の方いわく、障害者雇用の実態は「仕事内容をスムーズに理解出来る」「人間関係に問題を起こさない」とされている身体障害者の方が少ない障害者雇用の枠を占めており、精神障害者や知的障害者は門前払いにされるケースも多々あるそうだ。

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ネットではeスポーツをはじめ、障害者=自分にとって邪魔な人間、都合の悪い人間という意味合いで使われている。何かある度にガイジガイジと騒ぎ立てる人々にうんざりする。
くら寿司のニュースはさすがに怒りの声が多く上がっていたが、中には「障害者は能力ないから仕方がない」「障害者がつくった料理は汚くて食べたくない」といった声もあった。
障害について学ぶ中で、今の日本は障害者への風当たりが強いことを体感した。どうしてただ生きているだけで、頭が悪い、汚い、サイコパスという扱いを受けなければならないのか。一人ひとり障害の程度も性格も考え方も違うのに、この世の中は一緒くたにして差別する。
そんなに、日本のみんなは障害を持つ人に社会へ参加することをやめてほしいのか。そもそも障害を持つ人は生まれつきではなく、事故や病気でなった人も多くいる。自分がいつ当事者になるかもわからないのに、そんなことを言い続けられるのか。今の日本の障害者に対する支援の課題はまだまだ山積みだ。

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私は積み上げられた課題の中で、これだけは特に大事だというものを挙げる。それは子どもの定期検診を徹底すること。発達障害の早期発見に繋がり、より早い支援に繋がるからだ。
中には発達障害だと診断されたがらない親もいる。その場合は、障害を障害じゃないと誤魔化した結果、どういう未来が待ち構えているか現実を話してほしい。
私は親になったことがないため残酷かもしれないが、親のエゴで子どもが適切な支援を受けられないことの方が、よっぽど子どもにとって不幸だ。発達障害の診断を避けたがる親は、いずれ子どもから恨まれるだろう。

反対に、早めの支援を受けることによって得意なことや苦手なことがわかり、子どもが生きやすくなったり、専門家と連携がとれていざという時に抱え込まずアドバイスをもらうこともできる。

最後に、児童発達支援センター、放課後等デイサービス、特別支援学校は子どもが自分らしく生きていくための一つの選択肢だ。働く人には十分な専門的知識と給料を与えるべきだ。

まだまだ道のりは遠いが、10年後には少しでも障害者や彼らの周りをとりまく生きづらい環境が、変えられるよう努力していきたい。