社会人になってから勤めた職場で、私はいくつかの言葉に違和感を覚えたことが何度もあった。それは、決まって50代より上の世代の先輩方が新しく入職したスタッフによく言うことで、度々困ることがある。
違和感のある言葉は、私の心にも鋭く刺さって傷をつくる
ある新しいスタッフは、緊張の中でもやる気に満ちていて、いろんなスタッフのところに行って「教えてください!」と言って自分から教わろうとしていた。
私が入職したばかりの頃は、「何かすることありますか?」と聞くことはできたが、それ以外は先輩の方から「教えるので一緒にやりましょう」と言われてから覚えることが多かったように思う。新しく入ったスタッフの姿を見ていると、自分は初めのうちは先輩方に“指示待ち人間”とか“やる気がない若者”とか思われていたのかなぁ、と不安になるほどだ。
そんな新人スタッフに対して50代のスタッフが、「『教えてください』しか言わない、見て覚えてから聞きに来るなら分かる」と陰で言っていたのを聞いて驚愕した。
――「教えてください」がダメならどうしたら良いんだ??
――きちんとしたマニュアルもないし、入ったばかりで業務内容も把握できていないのに質問してはいけないの?どういうこと?と思ってしまった。
新人スタッフも困ってしまい、もう何も聞けない、と私に請うてきたのだった。
まず“見て覚える”ことが危険なことが分かっていないのだろうか。
見え方、捉え方は人それぞれ違うし、正しいのか正しくないのか、同じ業種でも事業所によって異なる部分もあるだろう。新人スタッフの方は私より年上で確実に多くの人生経験を積んでいるので、ある程度経験でカバーできる部分もあるだろうが、それにしても酷な話であると感じた。
また別のケースでは、業務上イレギュラーなことが起こり、業務が円滑に進まなくなってしまった状況が発生したときのことである。「大変だ~」と言いつつも、「まあ、昔はこれが当たり前だったからね」「私たちはこういう状況でもやらされたもんだよね」と言っていたのである。
私はその時、自分の気分の波が下降気味な時期で、ネガティブに捉えがちだったということもあってか、なんだか今この年代で生きて働いていることを悔やんでしまった。
――同じ時代を生きていたらよかったの?
――楽というか、効率よく働くことが悪いことなの?
と、理不尽さに腹を立てていた。
誰が悪いのか分からずに腹を立てても仕方ないが、とにかく疑問だったのは、50代の先輩方は何を主張したかったのか、ということだ。
「普通」って便利な言葉だ。だけど曖昧な言葉でもあるから困る
私は教員時代に、「普通」という言葉に敏感になってしまった。それまで特に何も疑問に思わなかったのは、恐らく相手の希望を汲んだり感じ取ったりして、自分が無意識のうちに相手の思いに沿う形で動くことができてたからなのかもしれない。
ところが、自分の判断で子どもたちに指示を出したときに、当時の学年主任から「『普通』そうじゃないよね」と子どもたちの前で指摘されてからは、「『普通』って何なの?」と純粋に思うようになった。
普通っていうのは恐らくその人の普通なのだと思う。人それぞれに普通っていうのがあって、他人に自分の普通を求めてしまったら、それは思ったものとは違う結果になることは自明だと思うし、他人の行動が自分の普通とは違っていたからといって怒る必要もないように感じる。
「そういう発想もあるんだな」「こう考える人もいるんだな」くらいで思っていてほしい。もしくは、「普通とは、○○ということです」くらい明文化してくれればその通りにするだろうし、単純にルールが曖昧なのであれば社内で共有するべきだとも思う。
これは、言い訳なのだろうか。甘えなのだろうか。
人は自分の経験や生き方を否定されたくないから自己防衛する
「自分たちはこういうやり方でやってきた」と主張する50代の先輩方。それが「普通」だった。
「私たちが入ったばっかりの頃の先輩たちはすごく怖かったけど我慢して働いた」。だから、あなたたちも同じ思いで同じ年代を過ごしなさい、と、そんな風に聞こえてしまう。
こんな言葉たちを聞いて、私はあることを考えついた。
人は自分がされてきたことを自分よりも年下や後輩、子どもにしているのではないか、と。
大げさに言えば、人は自分がされてきたことしかできないのではないか。
経験がなければできない。見たことも聞いたこともないものを想像しながら再現するのは難易度が高い。
自分が経験して大変だったのならば、同じ思いをさせないように、極端に言えば正反対のことをしてあげるものだろうとついつい期待してしまう。
しかし、身近にお手本となるような行動ができる人がいなかったり、自分がしたことに対して相手がどう思うのか、どう受け取ってどう感じるのかを考えることが苦手だったりすると、同じ思いをさせないようにと思っていても具体的な行動や言葉かけができないのではないかと思う。やはり、自分の経験したことが基本となって、「普通」に行動や発言に現れてくるのではないか、と勝手に考察している。
半世紀の人生で積み上げてきたものを否定されるのはすごく悲しいし傷つくと思う。だから、年上の人にはなかなか「これはこうした方が良いと思います」といった意見を述べることは勇気がいる。特に、年上の人たちは年下の素朴な意見や目新しい発想は苦手だと思う。
そういったことを避け、自分たちの考えややり方を押しつけるような独裁的な上司がいる職場は風通しが悪く、「報連相」も上手くいかないので仕事も効率よく回っていかないのではないかと思う。
上司にとっては耳が痛い話だとは思うが、部下にどういう方法や教え方がわかりやすいか聞いてみたり、否定ばかりせずに頑張っている姿を正しく認めてあげたり、自分から学んで新しい知識を取り入れるよう努力したりすることで、部下と信頼関係を築いていってほしいと思う。
と言いつつも、自分もそうなってしまわないように気をつけなければ。