子供の頃のわたしは、学校以外でスポーツに触れる機会がなかった。
しなかったのはもちろん、今のようにオリンピックやワールドカップを楽しみにしているスポーツすらなかった。
それから、そんなことより1人で過ごす方が好きで、体育の授業のチームの一体感、クラスレクのみんなで何かをしようの空気が、全部いやだった。

今思えば、学校すらあまり好きではなかったのだと思う。
そのくせ、1人でいるのは寂しいし、孤独を貫く強さもない。

小学校1年の時、初めてドッジボールをした。
「ルールわからない人ー?」と先生が聞いてくれたのだと思う。わたしは名前も聞いたことがないゲームだったのに、やったことある、ないがちょうど半々くらいで驚いた。
あの半分組は保育園や幼稚園で遊んでいたのだろうか。

運動は目立つほど苦手ではなかったと思う。
積極的にコートへ投げ込まれたボールを取りに行くことはしないけれど、最後の方までいつもコート内に残っていた。
相手にボールを何度か当てていた。
そうしてすんなりドッジボールに馴染んだ、つもりだった。

◎          ◎

驚いたのはそれから何年後だったろう。
小学校の高学年か、中学校かもしれない。
自分が外野になった後も、相手の誰かにボールを当てられたらコート内に戻って良いというではないか。
そんなの初めて聞いた。
正直今でも、公式ルールがどんなものか自信はない。
学校の中だけの決まりだったのかもしれないとか思っている。とにかく、わたし以外のみんなには、その共通認識があったのだ。
そのことに、とてもとても、驚いた。
恥ずかしくて誰にも言えなかったけれど。

初めてのドッジボールの時、あの半々の挙手があったあの質問をした先生は説明してくれていなかったのだろうか。
わたしは人の話を聞いていなかったのだろうか。
数年プレイしてきたはずなのに、どうして気がつかなかったんだろう。
どれだけ周りを見ていなかったのか。

◎          ◎

それから数年。
つい最近になってまたひとつ、びっくりしたことがある。

わたしは自分が自閉症スペクトラムという、発達障害の広い範囲の中に該当するのではと理解するようになった。
それについて今でも知識は吸収中、発展途上で、ある日突然知ることもあれば世界がガラリと変わることもある。

あれは自閉症スペクトラムの書籍を読んでいた時のこと。
数多くの自閉症スペクトラムの特性、特徴は一通り理解していたつもりだった。そこにポンと飛び込んできた、スポーツのルールが理解できないことがある、の文字。
それを読んでわたしは、このドッジボールの出来事を思い出した。
ここまでタイムラグがなくとも、わかった気になってから、本当に理解するまで、時間がかかってきたスポーツは他にもあったのだと思う。
スポーツ以外のルールについても。

スポーツに不正など許されることではないので、当然、誰にでもわかるようなルール作りを目指しているのだろうと思う。
規則や法則がしっかりしていて、比較的わかりやすいものだと思う。例えば社会生活のルールに比べると。
それでも理解できない人がいる。
理解で聞いていないことにすら、気がついていない人がいる。
なんだか少し、もやもやしてしまった。