新人なのに残業が続いて、事務からお小言をいただくようになったころ、ある日、先輩から「そんなに残業しないで、朝早く来てやればいいのよ」と言われた。
小さい頃の憧れは、自由な時間を持てる専業主婦という玉の輿
小学校に入る前の私が、保険屋さんのキャンペーンで書いた将来の夢の作文がある。その作文にはパイロットになりたい、と書いてあった。理由は覚えていない。
その後は、パティシエやお花屋さんなどの定番の職業を憧れにあげる、ありきたりなこども時代をちゃんと通過した。
しかし、小学校6年生の時、将来の夢を発表しなければならない場面で、当時の私は「専業主婦」と言った。
結婚がしたかったわけではない、と思う。
専業主婦がどれだけ忙しく、尊いかということは当時は知らなかったけれど、自分の時間を自由に持ちたい、という気持ちから選んだ夢だった。自分がしたいように暮らす、自分の時間を大切にしたいという気持ちは、当時から今もずっと残っている。
早く帰れと言われても仕事は増え、残業する日も増えていく
結局、恋愛音痴だった私は、専業主婦からは程遠い暮らしの学生生活を経て、紆余曲折ありつつも、やってみたいと思う仕事に就いた。私は、晴れて社会人になった。
配属先では、新人の同期と2人の先輩がいた。同期は仕事が全然できない人だった。
私も、新人だったけれど、同期よりは覚えが早いと認識されたのか、すぐに任される仕事量が増えた。それと同時に残業の量も増えた。
新人は早く帰さなければならない、という決まりをとりあえず口に出す先輩と、仕事がないので早く帰る同期と、新人ゆえに要領を得ず、時間ばかりかかってしまう私との攻防が始まる。
とにかく忙しくて、時々早く帰れと言われながらも、持ち帰ってできる仕事ではないのでどうしても長く職場に残ることが多くなった。
残業の届け出の出し方も教えてもらっていなかった。事務のおじさんが4月の終わりに、あんなに残っていたのに残業の届けが1日もないのはどういうことだ?とわざわざ私を訪ねてきた。残業代が出るという事実をこの瞬間まで知らなかった。
他部署のおじさんが、毎日残っている私を不憫に思ったのか、残業中に「大丈夫?」「元気?」と声をかけてくれることも頻繁にあった。お菓子を差し入れにきてくれた人もいた。自分の部署の先輩以外の人達が大変そうだ、無理するな、がんばれ、と言ってくれていた。
でも先輩方にとっては、残って仕事をすることがあまりにも自然で、いつも通りの光景で、「当たり前」になっていたのだと思う。
仕事が生きがいの先輩は、残業続きの私に「朝早く来てやれば」
当時の一番上の先輩は仕事が生きがい、のような人だった。誰よりも早く出社して誰よりも遅く残っても全く気にしていないような人だった。
仕事に楽しさと、人生の楽しみを見出しているような人だ。休みを返上しても気にならないようだった。
でも、こちらはもともと専業主婦になりたかったくらい自由を求めている人間だ。
もちろん仕事に楽しさを感じることも、やりがいを感じることも、目標をもって取り組む姿勢もあった。でも、私は仕事は仕事、プライベートはプライベートと切り離していたかった。どっちも大切に切り替えができる人間でいたかった。
仕事だけしていたら死んでた、という人生はごめんだ。だから、人間としての根本が異なっていたのだと今は思う。
そんな先輩からある日、言われた。
「そんなに残業しないで、朝早く来てやればいいのよ」
え?
私、今何時代にいるんだろう。と思った。
働き方改革って知ってますか先輩。
残業代を出したくないから、朝早く来てと言われたのだろうか。
働いた分の対価はちゃんともらう。始業のギリギリ出社を開始
その次の日から、私は出勤時間ギリギリを攻めて通勤するようになった。
タダ働きはしない。
私は働いた分の対価はちゃんともらう、という強い意志を持つことに決めて、出勤時間の5分前に更衣室に駆け込む生活を始めた。
最近の若者は、と思われていただろうと思うけれど、こちらも本当にそんな風に言う人いるんだ、と思ってましたよ先輩。
仕事を人生のどの軸に置くかは、その人の自由であるべきではないですか。
お金が全てではないと、もちろんわかっているし思っているけれど、でもお金も大事だと思う。
タダで働けと言われたも同然に感じて、とても嫌な気持ちになりましたよ。
ちょっと尖っていたな、と思うけれど、働き方の価値観は人によって違うこと、わかってほしかったなと思っている。