「◯◯様、おかえりなさいませ」
この春、ホテルに新卒入社した私は現在、部署をローテーションで研修中だ。
今月はフロント。
ここでは主に、お客様をお出迎えし、お荷物をカートに乗せ、チェックインカウンターまでのつなぎをメインに行う。
初めた当初に比べると出来ることが増え、お客様との会話もスムーズに行えるようになり、かなりやりがいを感じていた。

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そんなある日のこと、VIPのお客様が外出先からお戻りになったと、ドアマンからのインカムが聞こえたので、バトラーがお出迎えするために駆け寄る中、私は、せめて自動ドアが閉まらないように押さえよう、とエントランスに出た。
車からは老夫婦と、その息子夫婦らしき4人が車から降りてきたので、仕事モードの私は満面の笑みと、いつもよりやや高めの声で「おかえりなさいませ」と言った。

近くに来るまで全く気がつかない、また大きな声で言うことなど絶対してはならないが、その老夫婦はかつての日本の首相と、その奥様であった。
そこでハッと我に返ったような気がした。
見るからにおじいちゃんという印象を持ったと同時に、この方が日本を背負っていたのかと、まるで信じられないとも思った。
「おかえりなさいませ」と当たり前のように言い、習ったばかりのお辞儀をすると、かつての首相は小さく一言、「ただいま」と言った。
その瞬間、私は息が止まるような思いがした。
同時に、ある記憶を思い出した。

11年経った今でも後悔していること。
それは亡くなった祖父へ「おかえり」と言えなかったことだ。

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両親が4歳で離婚し、小学校にあがる前に母の実家に引っ越した私は、祖父が亡くなるまでの6年間を共に暮らした。
幼い頃に両親を亡くし、その後、姉と弟を病気で亡くし、天涯孤独だった祖父。
そんな祖父との思い出はテレビを観るためのリモコンの取り合い。
毎日のようにケンカしていたと思う。
大抵最後はメソメソと泣く私に、母や祖母は「子ども相手に」と祖父を責めることが多かったことを覚えている。
そんなある日、具合が悪いと病院へ搬送された祖父に癌が見つかった。
それから間もなく入院した祖父は、十分な食事ができずに痩せていった。
一方で私はテレビの見放題、逆立ちをしても怒る人がいない環境に喜びを感じていた。
祖父の入院が1ヶ月経過した頃から、祖父は頻繁に電話を掛けてくるようになった。
初めは応答していたが次第に面倒くさくなって、わざととらなくなった。
今でも、1人、車椅子で移動して公衆電話に行っては電話を待っていたのかと思うと、胸が痛んだ。

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そんなある日、一時退院が認められ、祖父は帰ってくることになった。
私はその日も登校し、家に着く頃にちょうど祖父が車から降りてくる姿が見えた。

お互い目があった。
私は何も言えなかった。言わなかった。
そして夜、大げんかをした。
そして間も無く祖父はまた具合が悪くなり、入院し、そのまま亡くなった。

あれから何度、思い出しては悔いただろう。
どうしておかえり、と言えなかったのだろう。
だから死ぬほど聞きたかったセリフを、かつての首相が言った瞬間、言葉にできない嬉しさが溢れた。

私は祖父が亡くなってから、祖母だけでなく、家族を大事に、可能な限りは連絡を取ると決めている。
そしてもう、祖父に対して後悔ばかり思い出しては泣き、自分を責めることばかりしないと、かつての首相に後押しされたような気がした。