「血は水よりも濃い」とよく言われる。おそらく私が最も信用していないことわざの一つだろう。
それどころか、その考えおよびそれを信仰する周りの者が、長年私の呪縛となっていた。

子供の頃、私の母を始めとする親族の大人たちが、年齢を盾に、子供である私を散々見下し、侮辱し、自分たちの優位性を主張していた。
そこで私が悲しんで泣き喚こうが、彼女らは謝りもしなかった。なぜなら「何だかんだ言っても家族」なんだし、何ならその中で一番下っ端だった私に、お人形兼サンドバッグ以上の人権はなかったからだ。
他人だったら侮辱罪で訴えてもいいことも言われたことがあるが、なぜ私がムキになっているか、「そんなことくらいで」と笑う大人たちには理解できないようだった。
私がそんな仕打ちを黙って受け続けることになった理由として、無力な子供だったから、ということ以上に、「家族だから何をしても何を言っても許される」という大人側の甘えが根底にあることをはっきりと自覚したのは、だいぶ後になってからだった。

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こまごまとした事件が絶えない我が家族だったが、私が大学生の頃、決定打となる大事件が起きた。
精神を患っていた母は、些細なことがきっかけで連夜、帰宅した父に暴行を加え、一睡もさせることなく罵声を浴びせ続けていた時期がある。父も、毅然とした態度で対抗すればいいものを、事なかれ主義を発動させ、なあなあな態度しか取ることがなかった。そして母は中途半端に反応する父に対して余計ヒートアップする、その無限ループだった。
お互い「別れる」と口では言っても、行動に移す素振りすら見せない。

そんな関係が本人たちには心地良かったのか、両親は見苦しい共依存状態の泥沼にはまっていた。そんな両親から私自身迷惑を被り、「家族って何だろう」と呆れ返ったことがきっかけで、私は家族との一切の縁を切った。

母は自身の母親(私の祖母)から昔、相当酷い扱いを受けていたと聞いたことがある。実際祖母にも、一度カッとなると病的なほど激昂する側面があった。
それなのに、老いて丸くなった祖母に、母は昔のことを全て水に流したかのように、時に気味が悪いくらいに、甲斐甲斐しく世話を焼いて仲良くしていた。それを、縁を切る前の最後の数年間、私は何とも言えない気持ちで見ていた。
母の胸の内は私には知る由もないが、私だったら、どれだけ年月が経とうが、どれだけ母が年齢を重ねようが、許せないものは許せない。だから絶縁して数年経った今でも、絶縁した後悔なんて1ミリも湧かない。

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少なくとも絶縁の直後は、両親もストーカーの如く執拗に私を追って来ようとしたみたいだ。「家族を捨てた」ことに憤怒したのか、罵詈雑言のメールも送られてきた。でも連絡手段も遮断し、共通の知人との交流も断ち、今では両親の動向は一切私に入らなくなった。
けれども、未だに「娘とはいずれ元の鞘に収まることができる」と思い込んでいる彼らの姿が容易に想像がつく。「何を根拠に?」と私はそれに対して尋ねたくなるが、どうせ彼らのロジックに従った「家族だから当然」という単純極まりない答えしか出ないのも想像できる。祖母に対する母の行為の動機も、おそらく似たようなものだろう。
「家族だから」という呪縛によって、結果的に家族内の個々人の感情が歪められても許されるほど、家族って神聖なものなのだろうか?

「家族は特別な存在」と考えたくなる気持ちは理解できる。赤の他人と違って、血を分け合って、互いを一番近いところで見てきた同士だから。特に情報源が限られていた上の世代の人の感覚では、家族との結びつきは時に自分の死活問題に直結しただろうから、血縁を絶対的なものとして信仰していたとしても不思議ではない。
それでも、今はそんな時代ではない。結びつきは家族外でいくらでも探せるし、家族同士でも知らない一面なんてお互いいくらでも持てる。配偶者からのDVに泣き寝入りすることも当たり前ではなくなってきている。

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少なくとも、今の私にとって家族とは、「たまたま血筋が繋がっている、一時は生計を共にしていた関係の他人」としか思えない。だから、「子供は両親の老後の面倒を見るのが当然」「何があっても家族一つ屋根の下で暮らすのが素晴らしいこと」……そんな「家族信仰者」の常識を、私は喜んで破った。

悪意あってのことではない。家族の幸せより、自分の幸せを優先したい、そんな至極当然の選択をしただけだ。
私には、自分の魂を犠牲にしてまで、家族を愛しているフリをする理由が見当たらなかった。年齢が私より上だからという理由だけで横暴に振る舞い、私の気持ちも考えない人が家族なら、なおさらだ。
いずれ私が家族を作ることがあっても、「自分の理想の家族像」を家族内で押しつけるような人には決してなりたくないし、「家族なんだから」と甘えることもしたくない。たとえ上の世代に理解されなかったとしても、揺るぎない私の信念だ。