今年の春、私は夫と2人揃って転職した。
スキルアップのため、新たなことにチャレンジしたいから、なんていう殊勝な理由ではなく、続くコロナ禍の影響による売り上げの低下で、会社の経営がいよいよ危なくなったからだ。
私と夫は社内恋愛で結婚し、その後も寿退社することなく、引き続き2人して同じ会社に勤務してきた。つまり、会社が倒れれば2人同時に職を失うことになる。
もし、これが独り身、もしくは夫婦2人だけだったならば、そこまで背水の陣的な逼迫した状況には感じなかったかもしれない(当然、職を失うかもしれないので焦りはするが)。
でも、私たちには1歳半の子どもがいる。もし、2人して職を失ったら、この子に満足な生活を送らせてあげられるだろうか。これはすぐにでも新しい職を見つけて、この状況を打開しなければ。
こうして、私たち夫婦の転職活動は始まった。

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すぐにでも新しい職を、と願うものの、現実はそう上手く行くはずもなく。なかなか通らない書類審査に、面接の壁、程遠い採用の文字。それでもなんとか採用してもらえそうな目処が立ったところで、次に問題となったのが新しい生活だった。

勤務先の会社が田舎にあったため、今の拠点を移さずに職を探すのは選べる就職先も狭まってしまうだろうと、転職先を探す際には引越しも視野に入れていた。
案の定、隣県へと引越すことになったのだが、そうなると必然的に子どもの保育園も転園ということになる。

ようやく馴染んできた保育園から、新しい環境。
初登園の時の不安そうな顔が思い出された。
じゃあまた後でね、と帰る私に必死に抱っこをせがむ姿が思い出された。
またそんな不安な思いをさせてしまう、変化する環境にしんどくはないだろうか……。

もちろん、転職活動を決めた時点でそういった生活の変化は想定していたが、その時はとにかく働く先を見つけなければと必死だった。新生活も慣れるまでは大変だろうけれど、先行きが不安定な会社に残るよりかは今行動した方がきっといいはず。そう自分たちに言い聞かせながら過ごしていた。
しかし職が決まり、頭が完全に新生活のことになると、次々に不安が頭をもたげてきた。

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夜、オレンジ色の常夜灯の下、隣で眠る子どもの寝顔を眺めていると、涙が溢れてきて止まらなかった。小さな手を握ると、こんなに小さいこの子にどれほどに不安な思いをさせてしまうのだろう、親の都合で振り回して……果たしてこの転職が最善の道だったのだろうか。
もともとネガティブな性格の私。考え始めるとどんどん負の思考に陥り、新生活への期待は微塵も感じなくなってしまっていた。

そこにさらに追い討ちをかけるように、周囲の人々からの「大変ねぇ」の言葉。
「都会になるとまた環境がガラッと変わるだろうから、小さな子を抱えて大変ね」
「また一から保育園か、大変ね」

こちらを慮っての言葉だと理解はしているが、正直、
「大変なのはもう自分で分かっているし、今それが最大の悩みなのだから言われなくても十分に不安に思っている!」
そんな気持ちだった。

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そんな不安定な気持ちで過ごしている中、気分転換になるかもと久しぶりに実家に帰ることにした。
最近あったこと、引越しの進捗状況、子どものこと……日々の何でもないことを母に話した。その流れで、ぽろっとここ最近抱えている、子どもに可哀想な思いをさせてしまうという不安を言葉にした。
心配をかけないように、そしてまた「大変」と言われないように、さりげなく口にしたつもりだった。
それでも、抱えている不安は母にはお見通しだったのか、私の言葉に母は、
「大丈夫」
と一言言ったのだ。
そして続けて、
「最初は泣くだろうけど、あの子のことだから先生にもすぐ懐いて、じきに慣れるよ」
「小さいからこそ、友達とのお別れも理解せずに新しい環境に馴染めるでしょ。成長して友達の認識がある歳の方が、お別れだったり転校だったりで過敏になってたかも。だから今行動して良かった良かった」
「まあ、何かお母さんお父さんにできることがあったら言って。引っ越すといっても車で行ける距離だし、まだお母さんたちが元気なうちは助けてあげられるから」
「心身が元気なら、何とかなる。何とでもなる。大丈夫」

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何の根拠もない「大丈夫」だと、そう思う人もいるだろう。それでも、その時の母の「大丈夫」という言葉はひどく私を安心させ、そして不安に小さく丸くなってしまった頼りない私の背をぱん、と叩いて伸ばしてくれるような、そんな言葉だった。
それは私にとって、とても心強い「大丈夫」だった。

そうして幕開けた私たち家族の新生活は、確かに皆新しい環境に慣れるまで大変なこともあったが、まあ上手く回り始めたのではないかと思う。息子も、今ではすっかり保育園にも慣れ、毎日楽しそうな笑顔の写真が先生から送られてくる。

そして、そんな慌ただしい毎日を時につまずきながらも笑って過ごせるのは、母の「大丈夫」という言葉と、頼ってもいいんだと思える彼女の大きな存在のおかげだと思う。