「ショートカットはやめてね」
彼にとっては何気なく発した言葉だっただろう。
この言葉は、彼が思う「かわいい」の価値観に私を縛り付ける呪いになった。

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今から2年前、私は6年間付き合っていた彼氏と別れた。
同時に、他者基準の「かわいい」の呪いから逃れることができた。
自分基準の「かわいい」を大切にすること、自分の容姿を自分で選択する自由を手に入れた。

彼とは大学生の時に出会い、社会人になってからも仲良く付き合っていた。
彼は付き合った当初から私の容姿を気に入っており、たくさん「かわいい」の言葉をくれた。中学の同級生から言われた容姿の悪口がトラウマとなり、外見の自信を失っていた私のメンタルを癒してくれた。
当時は誰かに容姿を「かわいい」と認められることが私の中のすべてであり、それが彼氏という大好きな人からの評価ならばなおさらであった。

彼の好みの女の子になろうとたくさん努力をした。きれいな黒髪のロングヘアを維持し、ピンクやフリルのかわいらしい服装を心掛けた。私は顔が整っているわけではなかったから、メイクやファッションで自分にできる最大限の工夫をした。
私が美容院に行く前に、彼はいつも「ショートカットは嫌いだからやめてね」と私に言った。
「私にはショートカットは似合わない」「彼の好きな髪型でいなくては」と、当然のようにその言葉を受け入れていた。

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付き合って6年目、私がいわゆるアラサーに差し掛かる夏、彼が年下の若くてかわいい女の子と浮気をしていることを知ってしまった。しかも、浮気相手の女の子は学生時代の私の雰囲気にとても似ていた。顔も、私より全然かわいい。
信頼していた人からの裏切りという絶望と、私に向けられていた彼からの「かわいい」という評価が代替可能なものであることに気づいてしまった。
私じゃなくても、彼の思う「かわいい」に当てはまる人ならば他の子でも良かったのだ。
アラサーになれば学生の頃のような外見ではいられない。服装がカジュアルなものになり、黒髪ロングが茶髪のセミロングになり、たまに肌の乾燥や皺が気になり始める。
私も彼も年齢を重ねる中で、彼の中の私に対する「かわいい」は減少していったのだろう。
彼が思う「かわいい」を取り戻すことは私には不可能で、彼はかつての私に似ている別の「かわいい」に乗り換えてしまった。

私は彼に別れを告げ、髪を切った。彼から常に言われていた「ショートカットはやめてね」という言葉に反抗するように、あえてショートカットにした。
挑戦してみたいと思ったが、できなかったショートカット。
彼を含めた周囲からの「かわいい」という評価に反するショートカット。
自分には絶対に似合わないと思っていたショートカット。
鏡に写ったショートの私はとてもはつらつとして見え、自分から見てもとてもよく似合っていた。黒髪ロングヘアでなくとも、ピンクやフリルの服でなくても、学生の時のように若くなくても、私はかわいかった。
初めて自分を肯定できた気がした。

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あれから2年、私はショートカットのままだ。 
「かわいい」とは何なのか、今も時々考える。
他者からの「かわいい」は、他人の価値観での「かわいい」でしかない。
それらに依存するということは、自分の評価を他人に丸投げするということである。
自分の容姿は自分だけのものであり、他者が口出ししたり身勝手に評価する権利はない。
自ら選択し、肯定する自由がある。
私は私の身体を、私が思う「かわいい」で埋め尽くしていく。
誰に何を思われようと、私が私を「かわいい」と認められればそれでよい。
「ショートカットはやめてね」
そんな言葉には、もう従いません。