今年、大きかったこととしてあげられるのは、人生でかなりひさしぶりに「ショートカット」にしたことだ。
正直なところ、これまでの人生で髪の毛を切るのに昔は抵抗があった。
「あなたが髪の毛をいじるから髪の毛を切った」という母親の言葉がずっと引っかかっていた。

20代前半のイベントは、何かと「ロングヘア」が重宝された

癖毛だが、天然パーマがかかった髪の毛を褒めてもらうたび、なんとなく気が引けた。
人生のイベント随所随所で、髪の毛が長い方が……という部分が多かったことも手伝った。
「成人式はおばあちゃんにもわかるように、地毛で日本髪にしようね」
「神社で巫女さんのアルバイト。髪の毛は黒髪でできれば長いほうが望ましい」
「卒業式ははいからさんみたいな髪型がいいから、伸ばしておこうね」
20代前半のイベントは、何かと「ロングヘア」が重宝された。
就職後、教員になった私は「おしゃれができない」と駄々をこねる子供達のために校則範囲内でもできるおしゃれを見せるために、ヘアアレンジをよくした。
ついでに忙しくて髪を切る暇もなかった。

しかし、もういい歳になってしまい、教師もやめてしまった。
「切っちゃおうかな」
ちょうど通っていたMBAの卒業式の直前、美容師さんと相談した際、
「思い切り切っちゃってください」
と、私はロングヘアーも同時に卒業した。
今思うと、イベントの随所随所で、長い髪がメリットとされてきたものを自分は受け入れてたんだなと思う。
ただ、よくよく考えると、文化的な問題だったりの気持ちが優先されて、自分はどうこうということを考えていなかったなと思う。

ショートカットにした申し訳なさや寂しさと同時に、得た謎の解放感

正直、最初ショートカットにした際、ささやかに、これまでの自分や親に対する申し訳なさがあった。
首の後ろが寒くなって、寂しさもややあった。
「なんで切っちゃったの」
案の定聞かれた。
「失恋した?」
そんなことはない。なぜ髪を切ること=悲しいことの経過観察判定なのだろう。
しかし、同時に謎の開放感があった。
日本では長い髪の毛は女性の特権だが、髪が短い=ボーイッシュというわけでもなかった。
美容師さんは私の顔や、持っている服と兼ね合いを考えて切ってくれた。
切って印象は変わるかもしれないが、生活は変わらない。
髪を切ったから確かに印象はだいぶ変わったかもしれないけれど、服の全部を買い換える必要もなく、自分のこれまでのおしゃれと喧嘩をせずに馴染んでくれた。
本を見ればショートカットでも可愛い人はたくさんいる。
子供の頃大好きだった、某美少女戦士の青い髪の戦士もショートカットだ。
せっかくだから楽しもう。
いつも、切ってもなんだか申し訳なさから伸ばしていた髪の毛を、私は3月でショートにしてから定期的に切りに行くようになった。
結果、今年の私はショートカットに目覚めた結果、「美容室に定期的に通う」というちゃんと自分のメンテナンスをすることができた。
ちゃんと定期的に美容室にいって、好きな髪型を後ろめたくなくすることができるようになった。
その他、パーソナルカラーや骨格診断、顔診断なども、楽しく行うことができた。
頭を使って、楽しくおしゃれをすることを覚えた。
これはとても大きな進歩だったと思う。

30歳はソロウェディングを、忖度なしの趣味と偏見でやりたい

私の今年の抱負は、30になるので、誕生日にソロウェディングをやることだ。
自分の姿にコンプレックスを持ち続け、時間も何もかもなかった昔は、到底思い付かなかったことだろう。
現在結婚の予定はないからこそ、周りの声は参考程度に。
忖度なんかしないで思い切り好きなドレスを趣味と偏見で選びたい。
これまでの私だったら、親にドレスを聞いて選んでいたかもしれない。
忖度の「似合う」より、ちゃんと根拠のあるパーソナルカラー、骨格診断の似合うで、自発的にやるき満々で、しっかり計画をたてたい。
これまでの私だったらきっと、ドレスのために髪の毛をのばしたりしたかもしれない。周囲の目や声に忖度して、着物を選んだかもしれない。
でも、もう気持ちの上で楽な髪型も覚えてしまった。
気持ちよく短い髪の毛のままで行く気満々だ。
やりたいことに向けて、努力も必要ではあるけれど、「楽しむこと」を大切にしていきたい。