振り払うようにして別れてから4ヶ月。私は文供養をしようと思い立った。
1年半。遠距離だった。
スマホがあれば片手でやりとりができる時代に、私たちはわざわざ郵便で手紙を送りあっていた。数ヶ月に一度会えた後、離れる時にはいつも手紙を渡された。
今は、十数枚の手紙たちが手元にむなしく残っていた。
供養をする前に、全ての手紙を読み返そうと、一つひとつ丁寧に開いていった。
かわいい便せんの上に、“美しい”言葉たちが整った文字で並んでいる。
「一緒にいられて幸せだよ」
「これからも二人で幸せを重ねていきたい」
それらは私の心にはもう届かない愛の唄。
どの言葉も陳腐に思えるのはどうしてだろうか。
私が変わってしまったからか。
どうしてまったく悲しくないんだろう。
どうして心にひとつも沁みてこないのだろう。
彼からの、どの手紙も「不満はちゃんと言ってね」と言う。
私の不満はね、君が不満を言わないことだよ。
◎ ◎
別れ話をした電話口で、君は何度も「別れたくない」「もう一度頑張るから」とすがりついていたね。3時間におよぶ私の説得工作の末、最後にはすすり泣きしながら「今までありがとう」と君に言わせたね。電話を切るのが惜しい君は、何度も「ありがとう」と繰り返して、それに対して私は最後まで淡々としていたよね。
そこにいた私はね、完全に感情を動かすことをやめた“カウンセラーモード”の私なんだよ。
私の態度に愛はないの。
君は気づいてないよね。気づくはずがないよね。
どうして急速に冷めちゃったの?この前まで「好き」って言ってたのに。
君はそう思うかな?
私もね、はじめは自分でもわからなかったんだ。
「ずっと一緒にいようね」とか言っていたのに、なぜあの夏の日、「もう限界だ」って崩れるように君への気持ちを失っていってしまったのかって。
自分の心に何度も「どうして」って問いかけたよ。
クリスマスを一緒に過ごせた喜びも、桜が咲き始めた時に離れるのが惜しくて泣いたことも、確かにそこには感情が存在していたのに。
今はもう、苦しいくらいに何にも感じないの。
でもね、ある言葉に出会った時、私は自分の心を理解できた。この恋の顛末を表す言葉を紡げるようになったんだ。
「愛とは隔たりへの同意である」。哲学者シモーヌ・ヴェイユの言葉。
君は、隔たりを埋めようと必死だったんだよね。
でもね、どこに隔たりがあるのか君には見えてなかったんだよね。
「君に見合う人間になりたい」と君は何度も手紙に書いていたね。
必死に努力したんだね。
でもさ、「君に見合う人間」って何?
頑張れば「合う」って信じてたんでしょ?
でもね、合ってないことに気づけてないのに、何が「合っている」状態なのかも分かってないのに、どうやって合わせようとしたの?
だからね、どんどんずれていったんだよ。
◎ ◎
でもね、私も悪いんだ。
「隔たり」に気づいた時に、私は必死に埋めようとしてしまっていたんだよね。
「なんでそんなこともわからないの?」
「もう少しちゃんと頭使って考えたら?」
段々と隔たりを埋めること自体に違和感を覚えていくようになったのに、それでも言葉のナイフで君を切りつけて、むりやり隔たりを埋めようとしてきた。
それ以外に、どうしたらいいかわからなかったんだ。
私は、完全に「モラハラ彼女」だったよね。ごめんね。
私たちは、二人の間にある隔たりを認め合って、受け容れ合って、そこからどうするかを二人で考えないといけなかったんだね。
君は、君らしくいてくれたら、それだけで良かったんだよ。
私は、君らしさを認めなくちゃいけなかったんだね。
でも、もう遅いよ。
私はもう疲れたんだ。
埋めようとすればするほど深さを思い知らされる、君との隔たりに……。
溢れてくる言葉たちは、決して届くことのない叫び。
もう、いいよ。
恋人ごっこの記憶を葬り去ろう。
手紙を一つひとつ便せんに戻す。
ひとまず全て紙袋に入れた。
さてこれをどう供養しようか。
◎ ◎
ぼんやり紙袋を眺めていたら、母が突然やってきた。
「何してんの。手紙?捨てられないのー?仕方ないな、お母さんが捨ててあげる!」
唖然としている私をよそに、手紙たちは呆気なくゴミ箱に放り込まれていった。
圧倒されてしばらく呆然としていたが、不思議とスッキリした。
頭の中でこんこんと湧いてくる後ろ向きな言葉たちは、母の愛らしいまでの強引さに驚いて止まったのだった。
まあ、いっか。さすが私の母だな。
私は苦笑した。
こうして私は文供養を終えた。