彼と別れて、もう1年以上が経つ。
10年来、大切な人。恋や愛では表せないような、そんな思いを抱き続けている人。
最近では別れてよかったなと思うことが度々ある。どうして別れたのかといえば、変化を相手に見せることが怖くて仕方がなかったからだった。

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彼と知り合って10年以上経つ。今では幼なじみのような、家族のような間柄。お互いをよく知ってきたからこそ、その枠組みから外れるのが怖くなったのだ。
「思っていたのと違う」姿を見せることで、失望されたり、愛が損なわれたり、そういうシーンに出会うんじゃないかと思うととにかく怖くて、できるだけ相手の価値観と「同じ」であるように見せ続けた。

そのゆがみはコツコツと溜まり、そして爆発し、私達は恋人を辞めた。
「違う自分になっていく姿を見られるのが怖い」と泣いていた彼の姿を、私は忘れないだろう。

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けれど別れてみて、友人としてそばにいて思うのは、恋人でなければお互いを大切に想いあえるということだ。
恋人だと「自分を分かってほしい」と甘えが出る。その結果、「受け止めなければ」と無理に合わせようとしてしまう。でも友人で、適切な距離感にいれば、その甘えは出ない。だからこそ、違う価値観や考え方を受け止めることができる。
別れてから今まで、私も彼も根底は変わらずとも、さまざまな変化を続けている。それは付き合っていた頃の何倍ものスピードで。ものの考え方や行動の仕方、好きな音楽から本まで、私達は大きく変わったけれど、それでも私達は良好な関係を築けているから、本当に彼を失わずに済んで良かったなあとしみじみ思う。

恋人のときに、それができたら一番だったなと今も思うことがある。でも私は、心の底ではきっと彼の自分への想いを信じていなかったのだ。だから変化する自分を見せられなかった。大切だからこそ、彼を失うことはとても怖かった。
本当はそんなことはなかったのかも知れないけれど、少なくとも私と彼は付き合っている頃、そんな危うい信頼関係しか築けていなかったわけで。
あのまま続けたってどうしようもなかったことは分かりきっている。だから、私は今の関係になれてよかったと思うことにしているのだ。

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私は今も変わらず彼を大切にしたい。私ができうる範囲で幸せにしたい。
幸いなことに、恋人だったあの頃よりも私は上手に彼を大切にできている(んじゃないかと自分では思っているけど、こればかりは彼がどう思っているかは不明である)。

これからも変わり続けるふたりだけれど、その変化を理解し合いながら、時には長い付き合いだからこそ受け止められる弱さを見せ合いながら、支えあえたらと願うばかりだ。

というのは綺麗ごとで。
私は今も彼と幸せになりたいと、心の底から思っている。
しかしその想いをぶつけて、彼が私に遠慮をして、失ってしまうことのほうがずっと怖いので、その想いを打ち明けるのはここだけにして、今の支え合いを大切にしていきたい。