二十代前半の頃、ひと回り年上の彼が出来た。
年上だということを時々忘れてしまうくらい、底抜けに明るい人だった。
アルバイト先の社員だった彼は、大人なのにどこかうっかりしていて、その親しみやすさから、あっという間に距離が縮まった。今以上に世間知らずで小娘だったわたしを、敬うように大切にしてくれた。一世一代の恋だったと思う。

出会ってから彼は、わたしをよく褒めてくれた。
アルバイトとして彼の仕事を手伝い、できる限りのことをした。
ほんの些細なことにも、「君は、ほんとうによく気がつくね。ありがとう。」と、ひとつひとつを見ていてくれる。わたしが彼を好きになるのに、時間はかからなかった。彼は、年齢と立場の違いに悩んだようだったけれど、告白しそうになったわたしを押し留めて、自ら言ってくれた。
「君のことが好きです。付き合ってくれませんか。」
大人なのに、こんなふうにきちんと、言葉ではじまるんだとびっくりした。

どう見てもわたしはあなたのこと好きだったでしょ。どうしてあんなふうに聞いてくれたの?と、のちのち聞いてみた日、彼が照れくさそうに言ったのを、今もよく覚えている
「付き合う中で、不安になったりしてほしくないの。俺が君に告白をした事実が、君の自信のひとつになったらうれしいなって。…自惚れてるね、俺。」

彼はその度に言った。良い子じゃなくても、大好きだよ。

ようやく付き合い始めてからも、彼は変わらずにわたしに優しかった。
付き合っていることは社内で公にはしなかったけど、彼の周りの人に話をしてくれていたことは、しばらく経ってから聞いた。
彼は仕事場で、これまで通りわたしに接した。よくできた仕事があれば褒め、直したほうがいいところは逐一、言い方を工夫して、理由も丁寧に教えてくれた。
変わったのはひとつだけ、二人でいるときに、わたしに言う言葉だった。

「良い子だね。でも、良い子じゃなくても大好きだよ。」

彼のために食事を作ってみたとき。大学で良い成績が取れたとき。就職が決まったとき。
彼はわたしを抱きしめ、そう肯定してくれた。
そしてそれは、わたしが褒められないようなことをした時も変わらなかった。
喧嘩をしたとき。わがままを言ってしまったとき。くだらないやきもちを妬いてしまったとき。拗ねてどう機嫌を直したらいいかわからないとき。
彼はその度に言った。良い子じゃなくても、大好きだよ。

わがままを言って彼の愛情を試して、気持ちをはかっていた

今思えば、わたしは彼を試していたのだと思う。
彼よりずっと歳下で、自信がないわたしは、時折自分が彼に見合っているのかと不安になることがあった。こんな自分を好きと言ってくれる、彼の言葉を信じきれないときがあった。
わがままを言って彼の愛情を試して、気持ちをはかっていたのだと、今になってみればわかる。でもその時の自分には、全くわからなくて、なんでこんなに優しくて素敵な人に、不満を抱けるんだと、自分を責めた。
けれど、彼は私を責めなかった。どうしてそうしたのか話を聞いて、その行為は良くなかったねと、私を諭した。彼が言うのはわたしの行動に対してのことだけで、わたしの気持ちやわたし自身については、決して否定しなかった。
そしていつも抱きしめてくれた。
「良い子じゃなくても、大好きだよ。」
その言葉は、時間をかけてわたしに沁み込んでいった。

肯定をし続けてもらえたことは、わたしを変えた。

今、彼は隣にいない。
離れてしまったときはものすごく辛かったけれど、じゃあ出会わなければよかったなどと思ったことはない。彼が言い続けてくれたことを、今は心から自分に思えている。わたしは、わたしを肯定することができている。良い子じゃなくても、わたしはわたしが好き。

この前、当時もらった彼からの手紙が出てきて、ああこんな字だったなと思い出した。
彼は手紙のなかでわたしを褒めてくれていた。そんなことすっかり忘れていた。きっと、他にも覚えていないことはたくさんあるのだろう。でも、それは失なったということでは決してない。
良い子じゃなくても、彼は私を好きだった。
そんなふうに肯定をし続けてもらえたことは、わたしを変えた。
そして今もその言葉が、わたしの支えになっている。