クラブデビューはレズビアンバーだった。隣の人の声も耳元でないと聞こえない爆音。暗い照明。回るミラーボール。どれも私をクラクラとさせた。
優等生気質の大学生。クラブなんて似合わない。でも私は借り物のようなアクセサリーを貼りつけてそこにいた。

女性となら恋愛ができる? 似合わない場所で愛想笑いをしていた

昔から男性が苦手だった。
小学生の頃、露出狂に誘拐されかけたことがあるからだ。しかしそれを思い出したのは大学4年生の時。それまでなぜ男性が苦手なのか分からなかった。
穏やかな愛情に浸れない。記憶のどこかが警鐘を鳴らす。油断するな、警戒せよと。
他の異性愛者の女の子達のように男性と"ふつう"の恋愛ができない私。女性とであれば"ふつう"の恋愛ができるだろうか。信頼して愛し合って、自分の居場所にできるだろうか。
そんな思いを悶々と抱えながら、似合わない場所で愛想笑いをしていた。

過去の事件を思い出したのは、就活が終わり卒論を残すだけの時期だ。冬の繁華街、駅ビルの入り口、ちょうど刺すような冷気と人工的な生温さが交わる瞬間に、思い出した。
途端に涙が溢れた。踵を返し凍てつく暗がりへ足先を向ける。
私が懸命に馴染もうとしていた場所は本当の居場所ではなかった。過去を忘れていた自分が愚かだった。"ふつう"の恋愛を楽しめた時間が頭の狂った男に奪われてしまった…。
悔しくて悔しくて仕方がなかった。

過去の事件も、居場所探しも。恋人になって3ヶ月の君に全て伝えた

そうしてすぐに社会人になってしまった。
考える暇もなく、誰かに相談できる時間もなく。
とにかく異性と関わろうと躍起になった。似合わないマッチングアプリなんかも始めてみた。"ふつう"の女の子たちが使っていると聞いたから。

荒んで、千切れて、貼り合わせることもままならない私。話が合う男性なんて見つからない。
それでも出会ったのが君だった。

君は1番チャットでのやりとりが長く、文章も綺麗で丁寧だった。会う前に一度電話をしようと言ってくれたのも君だけだった。
ずっと前から知っているような安心感。LINEで済ませてしまう人も多いのに、同い年の君はしっかり顔を見て告白をしてくれた。
自然に自然に私の生活に入り込んだ君。私はもう隠し事ができなかった。
過去の事件も、私の居場所探しも、恋人になって3ヶ月の君に全て伝えてしまった。
でも君は私の側からいなくならなかった。しっかり抱きとめてくれた。私の身体も中身も全部。
これは"ふつう"のことだろうか。

『安心』の中で。君の腕の中で目覚める朝が、どんな記念日より心躍る

いま初めて、『安心』というものの中で恋愛をしている。
私を傷つけず、受け入れてくれる人。
"ふつう"に線引きされた世界を飛び越えて、君は私のところにやってきた。
チャットでも文章が綺麗だった君は、今では節目節目に手紙をくれる。どんなに短い手紙でも鉛筆で下書きをして、一生懸命消した跡があるのが愛おしい。
隠し事のできない君が、うっかり私への誕生日サプライズを漏らしてしまった時の「しまった!」という顔。その不器用さが愛おしい。
勉強家で、新しい本が次々と君の本棚を埋める。本と向き合う君の横顔が愛おしい。

大きな旅行もイベントも、安心してごろごろと喉を鳴らせる日常には敵わない。君の腕の中
で目覚める朝が、どんな記念日よりも心躍る。

こんな話をすると「それが"ふつう"の幸せだよ」と言われる。今までが特別すぎたんだと。
ただ、皆が言う"ふつう"の恋愛は、私が手に入れたくて仕方がなかった"特別"だ。
私が生きる"特別なふつう"を思うと、世の中の"ふつう"と呼ばれる事象に問いたくなる。
「本当にそれは"ふつう"のこと?」
ひとりひとりが自分の"ふつう"に特別な価値を見出している。それなのに個人を平坦に均し、輪郭を曖昧にするために"ふつう"という言葉が使われる。
私は私の『ふつう』の中に、もっと意志を持たせたい。

今日も駅の改札前で、ぬぼっと立っている君を見ると、私の心がにんまりとする。
私の愛おしくて堪らない『ふつう』の居場所が、あそこにあると。