コロナ禍で長引くマスク生活から、歯列矯正をする大人が増えているらしい。
マスクで口元が隠れている今、周りの人に器具を気づかれることなく矯正し、コロナ禍の終わりを綺麗な歯並びで迎える大人がたくさんいるということだ。
20代前半で、まだ夫と出会う前の若い頃の私に今と同じような収入があれば、きっとそんな世間の風潮に、これ幸いと、歯医者に駆け込んでいたかもしれない。

私は身長が150センチほどしかなく、かといって華奢でもなくお尻も大きくて、髪は癖毛だし、視力も良くないし、子どもの頃はアトピー性皮膚炎だったので、大人になった今でも綺麗な肌とは言いづらい。
自分の体を文字にしてみるとなんだか悲しくなってくるが、それらすべてがどうでもよくなるほど、私が自分の体で1番嫌いなところが、自分の歯並びなのだ。

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子どもの頃の私は不安になると指を吸う癖があり、永久歯に生え変わる頃も赤ちゃんのように指を口に入れることがやめられなかった。
真っ直ぐに生え揃うことができなかった上の前歯が、犬歯で言うところの八重歯のように歯列から飛び出している。前歯以外の上下の他の歯も、バランスを取るためにガチャガチャしている。

自分の体で1番嫌いなのに、コンプレックスを自覚したのは19歳の頃と、ここ10年程のことで、当時のアルバイト先で出会った子どもに「どうして一本だけ歯が前に出ているの?」と言われたことがそのきっかけだった。
あの悪気のない一言を思い出すと、今でもチクリと胸が痛む。

気になりだすと、とことん気になってくるもので、大学で仲良くなった友人たちの多くが、子どもの頃に歯列矯正を経験していたことを知った時には、まるで天と地がひっくり返ったような気持ちになった。高校まで地元の公立校に通っていた私の知らない世界だった。

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どれだけ自分の歯並びが気になっても、大学以外のほとんどの時間をアルバイトに費やし、稼いだお給料の全ては、学費と、実家から片道2時間の大学までの交通費に消えてしまう。たとえローンを組んだとしても、当時の私には100万円以上の金額をかけて歯列矯正をする経済的な余裕はなかったし、もちろん親には言えるはずもなかった。

そのうち、自分の歯並びの悪さが、大学に通うことさえ一苦労な自分にとっての「貧困の象徴」のような気さえしてきて、当時は鏡を見ることも嫌いだった。

やっとの思いで大学を卒業し、実家を出て働きだしてからも、新卒の安月給では毎月の奨学金の返済で手一杯で、到底余裕のある生活なんてできず、自由に使えるお金はほとんど手元に残らなかった。

そんな時に出会ったのが今の夫だ。
付き合ってすぐの頃、本当は歯並びがコンプレックスで、いつかお金に余裕が生まれたら歯列矯正をしようと思っていると彼に打ち明けたところ、彼は一言、大きな声で言った。

「こんなに可愛い前歯なのに?!」

可愛いなんて、微塵も思ったことがなかった。愛そうとも思わなかった自分のウィークポイントを、可愛いと言ってくれる人がいるなんて、私は考えたこともなかったのに、目の前の彼は「勿体ないよ」と言う。
オマケに彼は、私の飛び出した前歯に「みゃえば」なんて名前まで付けてくれた。八重歯の前歯だから、らしい。
「矯正したければしたらいいと思うけど、俺はみゃえばの君の顔が好きだよ」

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眠い目を擦りながら洗面所で歯磨きをする度に口元に覗く「みゃえば」を見ると、毎日夜中の3時まで働いて、6時台の電車で寝ながら通学した学生時代を今でも思い出す。
それと同時に、あの日「みゃえばの顔が好きだ」と言ってくれた夫の優しさと、何にも代え難い愛情が今でも側にあることをしみじみと有難く、幸せに感じるのだ。

今でも、私の1番のコンプレックスが歯並びの悪さであることには変わりはないし、綺麗な歯並びへの憧れがなくなったわけではない。けれど今は矯正するよりも先に、彼が好きだと言ってくれた「みゃえば」ごと、自分自身を愛してみたいと思っている。
きっとそれが、この先もずっと続いていく「自分」とうまくやっていく1番の近道になるに違いないと思うからだ。