グサッとこの私の八重歯が誰かに刺さると痛いだろうか。「普通」「綺麗」その言葉を押し付けられると、心に時々訳のわからないものが刺さる。そのような時、『小野美由紀賞』を目にする。

歯並びが悪いこと、それが私のアイデンティティだ。だから矯正しない

綺麗なものを求める人々。何か乱れてると「汚い」という言葉を投げかける。物に対しても人に対しても。時には、まるで人を物かのような目で見て、綺麗であることを肯定し、綺麗ではないことを否定する。綺麗なことが売り物かのように。綺麗に越したことはないが、別に綺麗が全てではない。自分がこれで良いと納得しているのであれば、他人から見る理想でなくて良い。他人は自分ではないのだから。他人は私の人生ではない。

SNSに顔写真を掲載していると、顔も見たことない人に「歯並び直したら?」「矯正何故しないの?」とコメントされることがある。特に大人になってからだ。SNSなどで顔を出すようになってから。子どもの頃は「歯並び悪いんだね」としか殆ど言われたことがなかった。近頃のコメントの中には、噛み合わせの観点から、健康を気にして「歯並び治した方が良い」と言ってくださる方もいらっしゃったが。「歯並びが悪いなら"普通"に矯正するでしょ?」という考えを押し付けてくる人もいる。
世間は歯並びが綺麗なことが普通であり、歯並びが綺麗な人々で溢れている。歯並びが綺麗なことが良い、という見方がある。歯並びが悪ければ、矯正して治す人も多い。周囲にも歯列矯正する人は何人かいた。
しかし、私は矯正する気はない。
歯並びが悪いこと、それが私のアイデンティティだからである。矯正するかどうか、子どもの頃に話はあったが、子どもの私は、"矯正しない''を選んだ。

いつも大きく歯を出して笑ってきた。八重歯は私のチャームポイント

歯並びが悪い原因は、顎が小さいからであるそうだ。仮に矯正するのであれば、健康である歯を抜かないといけないというリスクが発生する。
恐らく、子どもの頃から「カワイイ」と言われた八重歯も。
八重歯は私のチャームポイントである。大学時代自己紹介で、「私のチャームポイントは八重歯です!」と言っていた程に。いつも大きく歯を出して笑ってきた。私は以前販売接客もしていたが、その時も笑顔で接客をした。
この八重歯、どの歯とも噛み合うこともないので完全にお飾り状態ではあるが、私は気に入っているのである。
だからこそ、抜きたくないし、矯正もしたくない。

他人ウケより自分ウケ。この歯は、誰のものでもない。私のもの

私の見た目は私自身で構築する。他人にどう思われたいかより、自分がこう思いたい、を最優先。他人ウケより自分ウケ。誰かに「矯正したら?」とアドバイスをもらっても、この身体は、この歯は、私のものである。誰のものでもない。それでもしも自分が損することがあったら、その時は、縁がなかっただけ、と思うことにしている。
矯正する人に矯正しなければ良いのに、とは思わない。皆それぞれ自分の事情がある。他人は他人の生き方がある。綺麗であることに越したことはない。ただ、私は「普通」や「綺麗」を押し付けられたくない。自分を突き通す。

SNSのコメント欄で歯並びのことが書かれる場面は、最早日常に溶け込んでいる。心に刺さりはするが、チクッて感じ。
私の八重歯は、今日もお飾り状態。しかし、笑うとチラッと出てくる。歯並びが悪くても思いっきり歯を見せて笑う。笑いたい時に思いっきり笑う。私の八重歯は深く突き刺さらない。