私、線香花火って大好き。儚くて綺麗で。
蒸し暑い夏の夜、まっくらな浜辺に降りて、たった一度だけ遊んだ手持ち花火は、とてもとてもきれいでした。
きれいなのは、すきなひとと一緒だったからです。最後の夜だったからです。

すきなひとが煙草を吸うのと同じライターで点けてくれた火だったので、その熱さすらも愛おしくって、最後の花火が燃え尽きたあとはしばらく、燃え殻をばけつに入れることができませんでした。
すきなひとが、途中のコンビニで買った小さなばけつに燃え殻を捨てて、じゅっという音がしたことなど、気付かないふりをしました。
そして促されるまで、私は燃え殻から手と目を放せずにおりました。
やっと私の手を離れた花火の殻は、冥いばけつの水の中に、音もなく落ちました。ゆるやかな溺死のように思えました。

これは、私がいちばんしあわせだった、夏の思い出。

◎          ◎

あどけない夏の怠惰に恋をしたのです。
「今年の夏、まだ一度も海を見ていない」と言った私を、彼はある休みの日に、海辺の町へ連れ出してくれました。
そこは、潮風かおる港の近くで、お魚とお酒が美味しくて、太宰治の泊まったという伝統的な旅館まである素晴らしい町でした。
旅館の中の、温泉へ続く通路には、風鈴が揺れていて涼やかでした。

そうそう、町には深海魚の水族館もあったのです。
私、深海魚が狂おしく好きで、そのことを覚えてくれていた彼が、連れて行ってくれました。
彼に手を曳かれながら、生きて泳いでいる深海の生き物たちを見られて嬉しかったし、我が趣味の一つである透明骨格標本の展示にも心惹かれました。
……嗚呼、透明骨格標本ってどうしてこんなにも神秘的でうつくしいのでしょう……。
家にも1部屋、四方の壁が透明骨格標本のショーケースになっているお部屋が欲しいです。

「……それでね、隣の部屋は、バベルの図書館みたいに六角形のお部屋だったらいいな。たくさんの本と、果実のかたちをしたランプがあるの。そんなおうちがあったら素敵でしょう?」
そう、馬鹿げた夢のようなことを語る私のことを、彼は否定しませんでした。むしろ、そういうところが好きなんだ、と言ってくれました。
だから私は初めて誰かに対し、「このひとの哲学に解かれたい」と思ったのです。
すべてを捨ててでもそばにいたい。あなたが望むなら地獄でもいい。

◎          ◎

水族館から帰り、温泉にゆっくりとつかり、すっかり暗くなった海で花火をしながら、私は心の中で問いかけました。
火をつけて、燃え尽きるまでに1つずつ、きらきらと散る火花を見つめて思いました。

「歳をとって、やがてあなたが愛した語彙力や言語力を失ってしまっても、それでも好きでいてくれますか。
あなたの好きだと言ってくれた容姿が衰え損なわれてしまっても、私と一緒にいてくれますか」 

燃え尽きた花火の殻を、そっとばけつの中に落とします。  

「私がいなくなったら泣いてくれますか。
私が目の前から消えたら駄目になってくれますか。
私が死んだら不幸になってくれますか」

花火の煙が目に滲みて、ひとすじ涙がこぼれました。
やわらかい闇が私を包んでくれていたので、溢れ出たそれを拭う必要はありません。

「どんな私でも愛してくれますか」

◎          ◎

最後の花火が終の輝きを放っても、私は燃え殻から手を放せません。
隣で、水音と、じゅっという音がしました。
続いて、
「何持ってるのさ」
と彼の声が聞こえました。

「とても、とても綺麗だから」
答えになっていない返答をする私に、彼は小さなばけつを差し出します。
「そうだね、綺麗だったね。でももうこれは捨てちゃわなきゃ」
「綺麗じゃないから?」
「え?……ああそうだね。ごみはちゃんと捨てなきゃね」

彼の肩越しに見える街燈の灯がひとつ、じいっという音をたてて消えました。
夏の夜の、夢のように愛しく忘れられない思い出。