私は夏生まれなのです。
夏生まれというプライドがあったのだと思います。中学生くらいまでは、一番好きな季節はと聞かれたら夏と返事をするのが誇らしかったのを覚えています。
今となっては、夏が一番好きとは正直答えられなくなってしまいました。
やっぱり湿気が気になりますし、虫がたくさん出てきますし、何より家を出て数分でせっかく早起きして頑張ったお化粧が台無しになってしまうのですから。
それでもやっぱり、夏というのは、少しうっとおしいけど嫌いにはなれない、そんな感じがするのです。
毎年、梅雨が明けてむうっとしてくると、何年も前の夏のことまでぶわあっと思い出して、一人でクスッと笑ったり切なくなったりします。
梅雨明けに別れた彼。思い返すのは彼と楽しんだ花火と泣いた日々
特に今年の夏は、物思いにふける時間が十分すぎるほどあります。
というのも、ちょうど梅雨明けごろに一緒に住んでいた彼とお別れをして、久しぶりの一人暮らしが始まったのです。
思い出すのは彼との夏の思い出ばかり。
初めて誕生日をお祝いしてもらったのはもう5年くらい前で、一緒に花火大会に行って、帰りに初めてキスをしてもらいました。
人混みは苦手なのですが花火大会だけは特別で、暑くても蚊に刺されても人混みで電車がぎゅうぎゅうでも、毎年花火大会だけは必ず行くのでした。
彼も人混みは苦手だったのに、文句を言いながらもなんだかんだ毎年付き合ってくれました。今まででたったひとり、他の誰よりも大好きな人でした。
去年は花火大会がほとんど中止になってしまったので、誕生日は手持ち花火を買ってきてくれました。2人で住んでいた家の近くの河原で、吹き上がる豪華な花火やチリチリと輝く線香花火を楽しみました。
ちょうどその辺りから、だんだんと上手くいかなくなってしまったので、去年の夏のことを想うと、2人で楽しんだ花火と、泣いて苦しんだ日々とがぐちゃぐちゃになって押し寄せてきます。
5年ぶりに迎える一人の夏は、花火に頼らずとも夏を感じられる
今年も花火大会はなさそうですから、見に行く先もありませんし、一緒に行く人もいなくなってしまいました。
それなのになぜか悲しいというよりは、少し切ないなという程度なのです。
5年ぶりに一人の夏を迎えて、気づけば少し大人になっていて、花火に頼らずに夏を感じられるようになっていたのです。
洗濯物がすぐに乾くなあとか、ナスやとうもろこしが美味しいなあとか、夏の夜の匂いがするなあとか、そんなことです。そんなことすぎて忘れてしまっていたのです。
今までは、夏になったら彼とどこへ出かけようかと、夏という季節を道具のように思っていたところがあったのだと思います。2人で住んでいる小さな部屋で、もっと好きになってもらうにはどうしよう、仲直りするにはどうしよう、そんなことばかり考えて気づけば外では季節が通り過ぎているような感覚すらありました。
でも今は、季節の中で生きていると感じることができるのです。
何かを手放しても新しい何かを得られるのは、まるで季節みたいだ
燦々と照りつけるおひさまの下へ出てガラスのお皿を買いにいき、買ってきたそのお皿にシャキシャキのレタスと塩茹でしたとうもろこし、蒸し鶏とオクラのお浸しを盛り付けて食べます。そのあとは、お風呂に入ったのにドライヤーで髪を乾かしてまたじっとり汗をかき、夜風と大好きなアイスクリームで涼みます。
ちょっとくさい台詞なのかもしれませんが、何かを手放してしまってもまた新しい何かを得ることができるというのは、まるで季節のようだな、などと思うのです。
今年の夏もまだ終わっていないのに、来年の夏は誰かと花火大会に行けるかしらなどと、もう次の夏に想いを馳せて、それなら今年の一人夏は満喫しないとねと気合を入れ直しています。
明日はたっぷり水を含んだトマトを使ってカレーを作ろうと思います。トッピングは八百屋さんの夏野菜ラインナップを見てあれやこれやと悩んで決めます。
本当は過ごしやすい秋が待ち遠しくて仕方がないのですが、夏生まれなので大声では言わないのです。