いつか憧れの車の助手席に乗りたい、という願望が私にはない

自分の彼氏が乗っていたらかっこいい車、という議題で女子トークをしたことがないだろうか。

放課後のフードコートで勉強をしたり、一緒に帰るという行為がデートだった高校生時代とは打って変わり、高校を卒業するとデートプランにドライブという選択肢が上がるようになる。すると女子たちは、やれ軽に乗っている男性はダサいだの、駐車に何回も失敗するのは嫌だといった文句を言う。男性にしたら甚だ迷惑な話だと思うが、女子たちは、理想のドライブデートについて会話に華を咲かせ「いつか助手席に乗ってみたい」といったIf論を展開する。

だけど、私は昔から、いつか助手席に乗ってみたい車というものが存在しない。
というのも、自分が運転するのが好きなため、かっこいい車を見ると「助手席に乗りたい」という気持ちより「自分が運転してみたい」という気持ちが勝ってしまうのだ。
運転は、自分のライフスタイルの中で欠かせない時間。だから、私がドライブデートを楽しむなら、私にも運転を楽しんでいいよと言ってくれる男性じゃないとダメだ。

よく、車は人生と引き合いに出されることが多い。それは全くその通りで、新卒で初めて車を購入してからというもの、まるで某有名CMのように車と一緒に人生を旅してきたという感覚が私にはある。
車は、持ち主の人生の山も谷も一緒に時を過ごすのだ。

就職前は、車を買うとは考えていなかった

21歳の時、専門学校を卒業した私は、念願だった小児科の看護師として働くことになった。
自分で選んだ仕事だから、辛いこともあるけれど、きっと頑張れると思っていた私。しかし、待っていたのは先輩に怒られながら仕事ができない自分を呪う毎日で、理想と現実のギャップに苦しんだ。

朝、起きて満員電車に揺られて、行きたくない仕事に行く。仕事を終えれば、また電車に揺られて脚を踏まれながら帰路に就く。
仕事での度重なるプレッシャーとストレスで、だんだんと私は電車の中でめまいや吐き気を覚えるようになった。立っていられなくてその場に座り込むと、「何?」と言いたげに不躾に迷惑そうな目を向けてくる乗客たちの目にイライラした。

そんな毎日を送っていたある日、同期が車を購入したという話を聞いた。
就職前は車が欲しいとは1mmも考えていなかったけれど、毎日の体調やストレスを考えて私も車を購入することにした。

購入する前は、適当に安い車を買おうと思っていたが、販売店を訪れると、キラキラとしたかっこいい乗り物に、久々に胸が高鳴った。新卒だったのであまり高い車は買えなかったが、妥協せずに自分の好きな感覚を大事にして、色や内装を選んだ。納車の前はワクワクして、遠足を待つ小学生みたいだったと自分でも思う。

初めて自分の車に乗った日は、大事に大事に乗って、絶対どこにもぶつけないようにしようと誓った。自慢じゃないが、あれから4年、私は車をぶつけたことも擦ったこともない。

どんな時も寄り添ってくれた私の相棒

車通勤が始まったからといって、仕事のプレッシャーやストレスが消えたわけじゃない。
けれど、電車で座り込んで好奇の目にさらされることや、周りに迷惑をかけてしまうといった焦りからは解放された。
仕事が終わって車に戻れば、完全に仕事場から切り離された私だけの空間が待っていて、まるで愛車が私を守ってくれているように感じて、とても安心できた。

仕事がうまくいかず、更衣室から涙をこらえながら病院を出た日。車に戻った途端に涙がこぼれてきて、家で待つ親に心配をかけないよう、思いっきり泣いてしばらくしてから家に帰宅した。
いつも車が私の居場所で、愛車がなかったら家で泣き喚いて、心配する母を余計つらくさせていたと思う。

辛いことだけじゃなく、楽しく嬉しい思い出も勿論ある。
友達と深夜にコンビニでアイスを食べながら、しょうもない話で盛り上がり、笑いあった時。夜中に一人で車を走らせながら、好きな曲を熱唱して、隣で信号を待つ車の運転手と目が合って、気まずい思いをした時。

最近のお気に入りは、地元の海まで一人でドライブすることだ。
海についたら、車の中で音楽を聴きながら本を読んだり、日記を書く。飽きたら、海を散歩して、車に戻ってくる。

この時間は、私が自分でいられるために必要な時間で、誰にも邪魔されたくない。
きっとこれからも、私は自分の車と一緒に、たくさんの思い出を共有していく。辛いことも、勿論楽しいことも。
時が経って、もしかしたら車を乗り換えなきゃいけない時がくるかもしれない。今の車が大好きだから、それはとても悲しい。でももし、また車を購入する時が来たならば、私は次の相棒に「いつか助手席に乗りたい車」は選ばない。
どんな時も、私と人生と共に歩んでくれる、私だけの車を選びたい。