放課後児童クラブで、親の迎えを待つ機会の多かった、小学生の頃。児童クラブは、親の仕事が終わり次第、18時頃までに子供を迎えに来るシステムだった。
早い家庭は16時には子供の迎えに来ていたが、母は時間ギリギリの18時に慌てて迎えに来ていた。いつも親の迎えが遅いメンバーはほぼ決まっていて、私は最後の1人か2人に残るのが日常であった。

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児童クラブでの退屈な夕方の時間帯に、月に1回程度、現役の漫画家が講師を務める漫画教室が開催されていた。

教室に参加するまで、東京からうんと離れた田舎に、現役の漫画家が在住していることすら知らなかった。地元で夢のある職業に就いている人がいるなんて、憧れでしかなかった。
さらに驚いたのは、書店に行けば、本当にその先生の漫画が売られていたことと、先生が若くて綺麗な方だったことだ。当時、先生は20代だった。

先生は人柄も良かった。小学生を相手に教室を開くのだから、同じ目線に立って優しく接するのは当たり前ではあるが、「とても優しいお姉さん」だった。

教室では、先生の描いた漫画の登場人物の見本を真似て、絵を描いた記憶がある。子供たちが描いた絵に対して、否定的な意見は一切せずに「こう描いたら、もっと良くなるよ」とアドバイスをくれたり、沢山褒めてくれた。漫画教室は、親を待っている憂鬱な時間だということを忘れさせてくれる、魔法をかけてくれていた。

児童クラブでは、漫画家の先生との出会いの他、自由に漫画本を読むことができる環境にあったため、私は自然と漫画が好きになった。少年漫画よりも少女漫画が昔から好きなのは、児童クラブでの過ごし方の影響だろう。

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児童クラブを卒業してからは、今まで以上に1人で過ごす時間が増えた。退屈な時間を、夢中になれる時間に変えてくれたのも、漫画であり絵だった。

漫画を読むのではなく、少女漫画の中の女の子をひたすら描いた。変な性癖があるのではなく、純粋に「漫画の中の女の子を、自分で描きたい」との思いからだった。不要な紙を10枚程私に渡しておけば大人しく留守番をするので、母も安心だった。

最初は、前髪から描き始めて、輪郭、目、鼻、口の順番に描いていたが、少女漫画特有の「パッチリ、きらきらおめめを描けるようになりたい」と思ってからは、目から描き始めるようにした。目から描くと、顔のパーツのバランスを取るのが難しかったが、誌面で見る少女漫画の登場人物の描き方に、ぐっと近づいた。パターンは限られるが、制服や私服など全身も描き、横顔や手、腕、足などの細かい描写も、ある程度は描けるようになった。

漫画家志望ではないため、コマ割りなど、本格的な領域にまで足を踏み入れてはいない。そのため、他人に見せるための作品を創ったことはない。
空想の世界に浸りながら、登場人物の台詞である吹き出し部分を、実際に声に出しながら物語を描き進めた。紙には、ひたすら人物だけを描くスタイルを、大人になった今でも貫いている。

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ただ、作品として成立していない、女の子たちの絵を周囲に見られることは恥ずかしかった。そのため、描いたらすぐにゴミ箱行きである。
大人になるにつれ、現実世界が忙しく、少女漫画風の絵を描く機会も少なくなった。だが、たまにムシャクシャして、昔に戻ったかのように無心になって少女漫画の世界に戻る。その時は「今の私は、いっぱいいっぱいなんだ」と自覚するタイミングにもなっている。

幼い頃に児童クラブで出会った、少女漫画や漫画家の先生。自作の少女漫画の世界で、物語を自己完結できたときの達成感は何ごとにも代えがたい。「趣味」とは言えないが、ストレス発散になっている。
誰とも共有しようのない時間であるが、私にとっては大切な、邪魔されたくない時間だ。