私はただいま絶賛婚活中の28歳だ。
半年前、学生時代の友人から「コロナ禍で延期していた結婚式をいよいよ挙げることになりました。だからぜひ参加してほしい!都合はどうですか?」というLINEが届いた。
しばらくはポップアップ機能でメッセージを確認するだけで既読にすらしないほどに、とても憂鬱で面倒だった。

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というのも実は彼女とは、高校卒業以来約10年も疎遠になっていたからだ。それが3年前のちょうどコロナ禍になる直前、突然連絡がきて、婚約をしたから式を挙げる際にはぜひ参加してほしいと言われていたのだ。
ついにその日が訪れたんだなと思った。一言では表せない色んな複雑な感情が、涙と呆れ笑いとともに溢れ出てきた。おかげで妙に興奮して、なかなか寝付けなかったのを覚えている。

これから先の人生において、一番の味方となり得る相手を一足先に見つけ、幸せになっていく友人に対する嫉妬と羨ましさ。そして、長らく疎遠になっていた私を今更どうして呼ぶのだろう?
おそらく人数合わせだろうなという疑心。さらには、声をかければ怒らず予定をつけて来てくれるだろうという"都合の良い女枠"に彼女の中ではポジショニングされている悲しさとみくびられ感。

返信するまでに数日はかかったけど、結果から言えば出席を決めた。
疎遠になった時期を経て、そんなの全く気にしてないよという度量を友人に見せたかったのかもしれない。上京して地元に残っているあなたと違って少しは洗練されてるでしょ?と対面してまじまじと感じて欲しかったのかもしれない。
私のカッコつけで実はすごく勝ち気な性格がこの判断に出てる。それから、綺麗にドレスアップして美味しい料理を食べて良い出会いでもあればという下心もあった。

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いよいよ当日、友人と久しぶりに再会した。
「来てくれてありがとう!楽しんでいって!会わなかった時期は連絡を返さなくてごめんね。だけど私たち昔と何も変わってないよね。また落ち着いたらご飯行こう」
そう言われた。いや、変わったよ。10年も前からもうとっくに変わってた。

当時私は、疎遠になっていく彼女に対して去る者追わずの姿勢でいたけど、それでも繋いでおきたい友人・縁であり、頃合いを見ては食事に誘っていた。
だけどいつもリアクションはなかった。彼女は幸せの真っ只中で、本人にしてみればそんな昔の出来事は気にもとめないことなのかもしれない。だけど少なくとも私はショックだった。
ただこれで私の気持ちはハッキリした。やっぱりこれから先、彼女とは関わることはもうないと。離れた土地に住み、一方は家庭を持ってこれからさらに色んなフェーズを迎えるだろう。もう片方の私はまだまだその気配は感じられない。これから互いの生活が交わることはない。

本当は人間関係の取捨選択の答えを求めに、結婚式に参加したのかもしれない。みんな自分の面倒を見るのに必死で精一杯、他人のことなんて気にしてられないのだ。
私もそう。この考え方は冷たいのではなく、自分が心地よくいられるための手段の一つだ。
だから罪悪感を持たず、その時その状況に合った人間関係を築いていこう。そう気付かされた久しぶりの出会いだった。