中学時代の友人が結婚。精一杯の祝福を込めてハートマークをタップ
26歳と4か月と17日が過ぎた夜、何気なく見ていたInstagramの投稿で、中学生時代の友人が結婚したことを知った。集合写真には懐かしい同級生の姿があった。
精一杯の祝福の気持ちを込めてハートマークをタップした。
私は真っ黒な部屋着のワンピースを着て、ひとり暮らしのアパートでスマホを眺めている。ウエディングドレス姿の友人は別の世界の住人のように見えた。
地元の友人とは SNSで繋がっているが、地元から離れた大学へ進学し、東京で働く私は、地元の友人と直接連絡を取り合うことはほぼない。画面のハートマークを送り合うだけの間柄なのに、誰に子どもができて、誰が結婚したのかだけは知っている。
「よく考えたらこれから10年で人生ってすごく変わるよね」
16歳になる春、中学校の同級生がそう言った。それから10年が経った。
たしかに、同じ教室で同じセーラー服を着ていたあの頃が信じられないほどに、それぞれの人生はばらばらに移り変わっている。
疎遠になった地元の友人。地元から飛び出して感じたのは楽さだった
私の地元は田んぼしか目に入ってこない、絵に描いたような田舎だ。1学年100人に満たない中学校では、話したことがない同級生はいなかった。
そんな環境でも、私には本当に気の合う友人や、地元の腐れ縁の親友みたいな存在はいなかった。正確に言えば、大人になって住む場所が変わっても、地元の友人と連絡を取り合って仲良くやっていこうという気持ちと行動力が私にはなかった。地元から飛び出して歳を重ねれば重ねるほど、どんどん生きることが楽になっていったからだ。
中学生になったころだった。私がおもしろいと思っているものと他の子がおもしろいと思っているものがずれていることに気付いた。友達がはまっているアイドルも、話題になるテレビ番組も、遊びに行きたい場所も、理屈では説明できないけれど、自分だけなんとなく違うような気がした。
それでも友人のことを嫌いになったこともなかったし、距離を置くこともなく、普通に仲良くしていた。同じ場所で生まれ育ったけれど、違っていた。それだけのことだ。もしかしたら私のほかにも同じような違和感を抱いていた人がいたかもしれないけれど、今となってはそれも確かめようがない。
一度微妙にずれれば、その先の人生も自動的に分岐していく。勉強という障壁を乗り越えた私は、ひとりで知らない地の大学に進学し、東京で就職。自然とそれまでの人間関係からも疎遠になっていった。
だから私には、地元の友達はほとんどいない。自分が結婚式を挙げるとしても、地元の友達は呼ばないだろう。
ふるさとから離れて感じた生きやすさ。それでも、ふるさとを愛してる
ずっと好き勝手に生きてきたのだから、今の方が生きやすくて当然だ。
今私が生きているのは、生まれた場所が違っていても、大人になる過程で同じような網目をくぐり抜けてきた人が集まった、粒の大きさが均質にそろった空間なのだから。静かに周りとずれていくような違和感を感じずにすんでいる。
それでも、文章を書くとき、物事を深く考えるとき、私を構成する様々なものが地元にあることに気付かされる。共感できない人もたくさんいる雑多な空間で生まれ育っていなければ、自分と違うものに対してどんな感情を抱いていたか分からない。文章を紡いでいる今この瞬間も、私はずっと地元の風のにおいのなかにいる。
どんなに違う人生を歩んでいても、心の中に思い浮かべるふるさとの風景は、疎遠になってしまった友人たちと同じ、見える景色も時間の流れ方すらも東京と違うあの場所だ。
今は風船のように東京の空にふらふらと浮かんでいるけれど、紐の先はふるさとに繋がっている。帰りたいのはやっぱりふるさとなのだ。
こんな私も、ふるさとを愛していると言っていいのだろうか。