正直、コロナ生活が終わってほしくないと思っている。
「コロナ前の生活に戻りたくないと思っている」というほうが適切かもしれない。
とにかく今の生活スタイルが人生最大に快適なのである。
唯一、早急になくなって欲しいと思っているのはマスク生活くらいか。

コロナ前は自分という資源を「他人」のために使っていた気がする

時間、気力、体力、精神力。
そういったものは全て「自分という資源」である。
その資源という資源の大半を、コロナ前は他人に使っていた気がする。
「滅私奉公」といえば聞こえはいいが、そこに集るハエどもは都合よく搾取していくのが世の常だ。

わかりやすい例を挙げると「飲み会で自分の武勇伝を語りまくるおっさん」とかだろうか。
聞き手がいるから気分よく語れるのであって、聞き手が面白がっているとは限らない。この手の人は「同じ話をリピートして何度もする」ことが多いから、リピート3回目には聞く側はうんざりしていることが多い。
聞き手うんざりモードに入った段階で、それは聞き手の時間と精神力の搾取になる。
派遣会社の専務に連れてこられた飲み会でこれをやられたときは、辟易した。
明日の仕事も朝早いのに「年上の独身貴族はお金があって大人としてもわきまえているから、恋人にするには最高」と自称しつつ、「彼女には普段、仕事で頑張っているので甘やかしてほしい」と言い始めた。

純粋な疑問として「彼女は仕事で頑張っているあなたが好きなのであって、あなたを甘やかしたいとは思ってないんじゃないですか?好きになったところと付き合い始めでギャップ感じたら幻滅しますよ?」と質問したら、見事にスルーされて、自分語りをリピートされた。
「明日の仕事も早いんだから、早く解散して解放してくれ」と切に願ったし、翌日の仕事は体調不良で気分もゲロゲロ。最悪だった。

コロナ禍で「自分という資源」を自分のために使えるようになった

正直、この手の労力搾取はコロナのお篭り生活で結構減ったのではないかと思っている。少なくとも私は激減した。もともと一人暮らしだったことも手伝い、他人に気を使わない環境のカスタマイズは概ね完了してしまった。
意図せずとも「自分のために自分の資源を使う生活」にシフトしていった。

まず、そういう労力搾取の場に意識的に近寄らなくなった。
その手の忖度が必要なことはコロナきっかけで概ねやめた。張りつめていた糸がぷっつん切れるような勢いでやめた。

異業種交流会みたいな場所に出向くことも多かったけど、マルチ商法に勧誘されたり、単純に性格が合わなくて面倒くさい人も多くて疲れたりすることも多かったから、もう行かないだろう。
面倒な人から身を守るために気を張るのは疲れるし、気の張り方もわからない。とにかく苦痛だ。
そういうのも相まって、不特定多数が集まり誰かが回線を占拠して延々と話しそうなオンライン飲み会には参加しない。
オンラインで何かすることはもちろんあるが、本当に信頼できる組織や、気心知れた人とやりとりするくらい。
外に遊びに行かなくても配信サービスでアニメ見たり、YouTubeでヨガしたり、この瞬間のように気ままに好きなように文章を書いてみたり。
そんな一人遊びが楽しくて仕方がないのである。
周りに振り回されない今の生活、最高。

今後の時代の変化を見つめつつ、自身の生き方を模索していきたい

そんなこんなで世間的合法モードで自分の身を守りつつ、気楽に過ごせる今の生活が「コロナ収束」を期に終わってしまうのは、勘弁願いたいのである。
収束を持って以前の生活に戻ることは100%不可能だとわかっているが、収束に向かうにつれてどのように変容するかも、未知数である。

とはいっても、あと数年はこの状態が続きそうだから、それまでに目標と生活スタイルを固めて置けばいいかとも思う。
そんなことを思うと同時に、慣れというのはなかなか恐ろしいもので、どう頑張ってもコロナ前と同じ生活もできないし、仕事を含むあれこれでの立ち回りも絶対もうできない。
具体的なところだと、時間を守るのが下手になった。

所定の時間に所定の場所に行く娯楽が楽しめない。オペラとかオーケストラとか「公演」と呼ばれる娯楽がまったくダメになったのである。チケットの時間を守れる気がしないのだ。
そういう部分も留意しつつ、虎視眈々と今後の生活と自身の生き方を模索していきたいと思っている。