休むことができない。大学2年生の頃から、休みの日を確保しようという発想が頭から抜けてしまいがちだった。
周囲の勧めに従って、アルバイトや長期インターン、ボランティア団体の活動日を調整して週休二日を作っても、二日間でやりたいことはなく虚しさで泣いた。
昔から、休養を取るのが苦手だ。家では障害を抱えた母の様子をいつも気にしていたし、中学受験のために週7で勉強漬けになる日々から解放されれば落ち込んだ。
13歳のときにうつ病の診断を受けたが、休息を自力で取ることができず、5回ほど精神病棟のお世話になったほどだ。

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2022年、春。大学4年生のわたしは、2023年春に土日休みの会社に入社するまで、毎月1回ひとり旅に行き、計画的に、活動的に休む決意を固めた。

そもそも、アルバイトやインターン、ボランティアや勉強が楽しいのが悪いのだ。売り場で笑顔を振りまくのも、わかりやすい文章を執筆するのも、気持ちよい。居場所を作るのも、知らないことを頭に詰め込むのも、心地よい。
「そんなに仕事や活動が好きなら、仕事が休養なのではないか」と思われそうだが、しかし、それはちょっと違うのだ。仕事や活動は精神的には楽しいが、屈強な身体を持っていないので、体力はそれなりに消耗する。
また、チームプレーは気を遣うので、心をぴんと張り詰める時間が長い。予定が1日に2~5件入っていると、何かしらのタスクが予想外に増えたとき「うわあああ」とパニックになってしまうときもある。
好きなものを好きでいるためにも、距離を取る時間が大切なのだ。

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だから、わたしは毎月、ひとりで旅をする。就職活動も終わっているし、アルバイトやインターンである程度は稼いでいるから、心苦しさもない。土日休みの会社に入社してから旅に出るより、今のうちに平日に行った方がホテル代だって安い。合理的だ。

新幹線の目処は立てて、ホテルの予約も取るけれど、それ以外の予定はほとんど立てない。誰かの目を気にする必要もないのだし、たとえ地元にあるファストフード店に行きたくなったとしても、そのとき行きたいところに行けばいい。立てていた予定をこなせなかったときの焦燥感は、日常だけで充分だ。

横須賀に行ったときは、街歩き謎解きを途中で切り上げて温泉に浸かった。浜松に行ったときは、片道1時間バスに乗って浜名湖に行き、45分で復路のバスに乗った。ひとりでアフターヌーンティーを楽しみながら「内定式のご案内」のメールをじっくり読んだり、似顔絵を描いてもらいながら似顔絵師のキャリアについて質問したり。

好奇心を理由に、ひとりでラブホテルに泊まって「ひとりで泊まると暇なんだね、すごい発見だ」と恋人にラインを送った。

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試行錯誤を繰り返した結果、わたしは「全力で頑張り、全力で休む」適性があることに気が付いた。月に8日の休みは、わたしにはたぶん必要ない。持て余してしまう。

毎月1泊2日、日常からダッシュで離れる。わがままな自分への申し訳なさからも、実家の嫌な思い出からも、「このまま入社して、同棲して、結婚して、幼少期に思い描いた未来って意外と叶えられるんだろうか」のつまらなさからも。
定期的に、自由気ままにフラストレーションを発散することで、今の生活の楽しさを噛みしめることができる。わがままな自分にも仲間がいるし、同棲すれば実家から離れるんだし、わたしという人間と共存したい恋人は結構いいやつだ。

推しYouTuberの地元、推しアーティストの出身地、わたしに憧れているフォロワーさんの居住地。休日に旅をしたい場所は、まだ、たくさんある。