ひとりでいたい。「一匹狼」は、わたしの為に存在する言葉だとも思う
ひとりでいるのが好きだ。
どうも集団行動が苦手で、昔からうまく馴染めなかった。あらゆる方向に気をつかって消耗してしまうし、相手のささいな言葉で傷つくこともある。そこから回復するにも、どうしてもひとりの時間が必要になる。相当な体力と時間とともに。
そのくせ、仕事は接客業なので毎日が消耗戦だ。不特定多数の初対面の人間を相手に、気を使っては消耗して、を繰り返している。
だからこそ、なるべくひとりでいたい。仕事が休みの日は部屋に籠もっているし、友達と遊びに行くことも少ない(そもそも友達が少ない)。出かけるにしても、わたしはひとりでどこへでも行ける。買い物も、映画館へも、食事もひとりで平気だ。「一匹狼」はわたしの為に存在する言葉だとも思う。
それでも、どうしようもなくなってしまう瞬間がある。ひとりの時間が足りなくて、気持ちに余裕がなくなった結果、取り返しがつかない失敗をしてしまうだろうという予感に支配される瞬間。このままではマズい、完全なひとりにならなければ、と。
欲しいのはひとりの時間で、旅の情緒や地元の人との交流ではない
そういうときに、ひとりで旅に出る。
パスポートは持っていないので、行く先は国内に限られる。海外にひとり旅、なんて聞くとかっこいいし、ひとりの時間としては贅沢の最上位だろう。
それでも、わたしには国内で十分だ。欲しいのはひとりの時間であって、旅の情緒や地元の人との交流ではないから。
これまでで一番差し迫って、現実から逃げるようにひとり旅に出たのは、新卒二年目の秋だった。行先は石川県の金沢で、大学生時代に幼馴染と行ったことがあった。
前日も夜遅くまで仕事だったが、早朝に家を出て東京駅から新幹線に飛び乗った。突発的だったので服の準備も不十分で、秋口なのに薄着で行って、予定していた計画よりも先に上着を買うために右往左往したのはいい思い出だ。
誰も自分のことを知らない土地で、ゆっくりとひとりの時間を堪能した後、わたしは静かに現実に戻った。
仕事を辞める意志を会社に伝えたのは、ちょうどこの一ヶ月後だ。
その頃のわたしは、体育会系の男社会の中で激しく消耗していた。二年目に入って少しは慣れたものの、頭には常に「一刻も早く仕事を辞めたい」という気持ちと、「でもここを辞めたらどうすればいいのだろう」という不安の中で葛藤していた。二つの気持ちはまるで綱引きのように互いを引き合っていて、その力は強すぎて二つを繋ぐ糸はぎりぎりと音を立てていた。
このままではその糸が切れてしまう、そんな予感があった。ただ切れてしまうだけならばいいが、歯止めが利かなくなった激しい感情を向ける先は、間違いなく家族や友人たちだった。それだけは何としても避けなければならない。
だって、わたしが心を許すことができる数少ないひとたちを傷つけたくなかったのだ。絶対に。
国内だったひとり旅の行先を外国にして、旅する自分のことを想像する
わたしはひとりが好きだし、きっと孤独に強いのだろう。でも、完全な孤独には耐えられない。数少ないわたしの大切なひとたちと、これからも一緒にいたいからひとりになる。だからこそ、ひとり旅に出る。ひどく矛盾しているけれど、わたしはそうして気持ちのバランスを保っている。
時々想像することがある。これまで国内だったひとり旅の行先を、えいやっと外国にして、ひとりで旅する自分のことを。
その時のわたしは何を考えるのだろう。隣に誰もいないことを寂しがるのだろうか。それとも、ひとりの時間という、最上位の贅沢を存分に味わって楽しむのだろうか?
どちらも想像の域を出ない。どちらかかもしれないし、その両方かもしれない。
でもひとつだけ分かることがある。その旅から帰ってきて、久しぶりに会う家族や友人たちに対して抱く感情は、間違いなく温かいものだと。