その日、ついに限界が来た。
いろんな感情に押し潰されそうになったとき、借りたCDを返しに来たCDショップと、隣の赤と緑の看板が光るスーパー、その駐車場に停車した車の中が、私の休息場所だった。

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社会人4年目。 
社会人になった当初から、負けず嫌いと真面目さが功を成してか、いろんな仕事を任されていた。けれど、今までとは比べ物にならないほどに、様々な仕事がふってかかってきた。

もともと不器用でキャパシティが狭いことを自覚していた私。同時進行しなければならない仕事に、徐々に自分が追い詰められていくのがわかった。 
おまけに、プライベートも最悪だった。彼と付き合ってもう数年、お互いに結婚や子ども、家族の話が話題にのぼるようになり、今年こそはプロポーズされるのではないか、勝手にそう期待していた。にもかかわらず、最近あった私の誕生日には、もののみごとに何も起こらなかった。 
挙げ句の果てには、誕生日のディナーの席で、「後輩に結婚はまだなんですか、って聞かれたんだ、しばらくはないなあって答えたんだけどさ」と悪気なく話す、ニコニコした彼。私の中で、空気が抜けるような感覚がした。

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その日も、出張から帰ってきて疲れた体に鞭を打ち、同僚たちが我先に帰るのを横目で見ながら、やってもやっても終わらない仕事を片付けていた。 
もう限界だと思って、いつもより少しはやめに仕事を切り上げ、車の中で見たLINEには、「疲れすぎて動けないから晩ごはんの買い出しをお願いしたい」という旨の母からの連絡が届いていた。「私だって疲れてるよ!」と言いたいのを必死に堪え、長い帰り道を運転する。 
いつもと同じ毎日。だけど、少しずついろんなモヤモヤが溜まって、言葉にできない感情と闘いながら、暗くなった道を走らせる。

晩ごはんの材料を買うために寄ったスーパーでは、レジで割引チケットを取り出すと、「それ使えるの明日からなんで」と店員さんに半ば喧嘩腰に言われ、5キロのお米を載せたカートと食材が入った籠を動かすべく悪戦苦闘していると、「そのカート、よけてもらえます?」と冷たく言い放たれた。 
なんなんだ。私はこんなに頑張ってるのに。誰に誉められるでもなく、労られるでもなく、私に優しいのは、カーステレオから流れてくる曲の歌詞だけだ。なんなんだ。

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言葉にできないモヤモヤを抱えながら、返却期限が今日までのCDを返すべく、CDショップに寄った。CDを返して、お店を出て、ふとまわりを見ると、色んな人がいた。
部屋着のまま出てきたであろう自転車に乗った人、仕事終わりのサラリーマン、併設するコーヒーショップに飲み物を買いに来たカップル。 
ああ、誰か私を助けて。 
無意識のうちに、心の中でそう呟いていた。そうして、ハッとした。私は、誰かに助けてほしいんだ。

大人になって、誰かに弱みを見せるのがより一層難しくなった。誰かの前で泣くことも滅多にない。でも、平気な訳じゃない。毎日毎日追われるような忙しさや、恋人の気持ちが理解できないちょっとした苦しさ、家族との関係。一つ一つは些細なことでも、平気な訳じゃない。
その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。じわじわと視界がぼやけた。慌てて車に戻る。運転席に乗り込んだ瞬間、涙があふれた。
ああ、何をしてるんだろう。こんな、夜の駐車場で。しょうもないな、自分。家族も恋人も同僚もいるのに、こんな時に弱音を吐ける相手もいないのか。
泣きながら、あまりの情けなさに笑いさえ漏れた。    

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いつもこうだ。 
そうだ、いつもこうなのだ。 
私はいつだって、一人で泣いてきたじゃないか。小さい頃から、辛いときほど、苦しいときほど、誰かの前では弱みを見せられなかった。うまく感情を表に出せず、一人になった瞬間、あふれ出る。誰かに受け止めてもらうことは、とてもハードルが高い。 

そうだ、いつだってこうだ。 
私はいつだって、自分で自分を励ましてきたじゃないか。昔から、自己肯定感が低かった。でも、そんな自分と折り合いをつけながら、辛いときはいつも、自分で自分を励ましてきた。自分で自分の涙を受け止めてきた。
これが、私だ。大丈夫だよ、私はこんなに頑張ってるじゃないか。

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そう思った瞬間、隣のスーパーの看板が光りはじめた。赤と緑の、お世辞にもおしゃれとは言えないスーパーの名前が入った看板が、煌々と辺りを照らす。 
泣きながら、笑えてきた。
夜の駐車場で、スーパーの看板に照らされながら、号泣する自分。なんて滑稽なんだろう。おまけに、カーステレオから流れてくる「助けを求めてる君もいたんだね」という歌詞。余計に涙があふれる。 
私を一番労れるのも、私だ。私にとって、こうやって一人で涙を流す時間は、誰にも邪魔されない、私の休息時間だ。普段、出来ないことばかり数えてしまうけれど、私は、誰かに助けを求めたくなるほど頑張ってる。それで良い、と素直に思えた。

よし、帰ったらにんにくたっぷりのたらこパスタを作って食べよう。そして、お風呂にゆっくり浸かろう。 
気が済むまで泣いて、休息時間を終えた私はそう決心して、夜の中、再び車のギアを入れた。