私はいつも疲れている。
当たり前だ。
平日は働いて、家事もしてるのだから。
多くの人はそれを当たり前だと言う。特に年上の女性は「そんな甘ったれたこと言ってちゃやっていけないわよ」とよく口にする。
でも、私を見てほしい。何とかここまでやってこれている。

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別に頑張らなくたって、自分を疲れさせることを沢山しないと生きていけないことを受け入れたって、ちゃんと生きていけるのだ。
仕事も家事も私のやりたいことじゃない。
やらなきゃ生活できないからやっているだけだ。
だから、無理にやりたくないことを楽しむ必要もない、と私は思っている。

だから、私は毎日「お休み」の時間を入れる。それはすなわち自分時間のことだ。
疲れているのは多くのことをこなしているからではなく(もちろんそれが影響していることも大いにあるけれど)、自分のやりたいことが出来ていないから、という場合が多い。
自分のやりたいことが出来ていないと、慢性的にいつも疲れた状態になると私は感じる。
だから、やりたくないけどやらなくちゃいけないことをやった後は、一日の終わりに必ず自分時間を確保する。

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一番好きな飲み物を飲んで、お気に入りのキャンドルを灯して、一番やりたいことをする。絵を描くでも、文章を書くでもいい。
やりたいことをやるのだ。
そうすると自ずと、「あー、今日もいい一日だった」と思えることが多い。

ただ、毎日がそんな風にはいかない。
自分時間を取れないくらいにぐったり疲れてしまったり、気力が無かったり、残業などで物理的に時間が取れない日だってしょっちゅうある。

そんな日に必要なのは、自分時間を確保出来なかったがっかり感ではなく、ちゃんと疲れていることを自分で受け入れてあげる、という作業だ。
私はこれだけのことをやって、どっぷりと疲れている。
お疲れ様、ありがとうと今日の自分に思い切り感謝し、労うのだ。私はよく頑張ったと。そして、じゃあ次の自分時間では何をしようかとか思いを馳せることで、その日を気持ちよく締めくくれる。これは私なりのおまじないだ。

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平日の過ごし方がこんなものだから、(自分で言うのも何だけど)私の休日はすごい。
一人の時は行きたかった美術館や博物館に行ってどっぷりと作品と向き合ったり、マッサージを受けてから読書をし、インターネットカフェでゴロゴロしながら文章を書いたり。はたまたひとり旅行したり。とことん自分の欲望のままに過ごす。
誰かと過ごす時は、行きたい場所、やりたいことを精査し、念入りに平日の間に計画を練っておく。

いつだって私は休日を全力で楽しもうとしているから、私の休日は最高に楽しいのだ(自分で言うのも何だが、私は楽しい休日をプランする達人だと思う)。
やらなきゃいけないことをちゃんとしている自分は偉い。
でもそれは私の自分時間ではなく、人生の重要な時間ではない。
そう認めているからこそ、自分のための時間、自分時間は私にとってかけがえのないものなのだ。

かけがえのないものだからこそ、私は全力でその時間を楽しみ、次のどっぷりとした疲れにむけて爽やかに心を回復させるのだ。