街中で楽しそうに歩いている高校生を見かけると、いつも少しだけ胸が痛む。
だって私の高校時代はあまり楽しいものではなかったから。
高校生というと楽しい青春の日々を謳歌しているというイメージがあるかもしれないが、高校時代の私はとにかく辛かった。

◎          ◎

まず勉強ができなかった。
受かるかギリギリのラインで地元の進学校に滑り込んでしまったので、周りは自分よりできる子たちばかり。テストの順位は下から数えた方が早かったし、内容も難しくてついていけなかった。
さらに部活も弱小で、結構練習していたにも関わらず地区大会ではいつも一回戦敗退だった。
とどめにクラスの人間関係も上手くいってなかった(序盤にモタモタして輪に入りそびれた。クラス替えがない学校だったので結局三年間一人でいた)。
中学時代は勉強も部活も人間関係も上手くいっていた分、その反動もあったのだと思う。
この辛さは劣等感や寂しさ、自己肯定感の低さや自意識の高さ、見ていた世界の狭さなど、今なら「なぜ」辛かったのかが分かるが、当時はただただ苦しかった。

なんとかこの苦しさを消そうと、図書館に足繁く通っては沢山の本を読んだ。小説、哲学書、仏教本、自己啓発本……。手当たり次第読んだが、私にとってはどれも小難しく、腑に落ちることはなかった。
ある日、仲が良かった図書館司書の先生に「簡単に読めて元気になれる本はないですか?」と聞いてみた。先生は「漫画でもよければ」といってある漫画を私に差し出した。
この漫画と出会った日が、今回のテーマである「私だけの記念日」だ(しかし、悲しいことに日付は覚えていない)。

◎          ◎

その本は「ありのままのあなたでいいよ」という内容だった。
はじめは「そんなのキレイゴトだよ」と心を閉ざしていた。しかし、「誰かと比べて得る自信って本物の自信なの?」「幸せって努力しないとなれないの?」などといった言葉は、当時の私の凝り固まった価値観や考え方を少しずつほぐしてくれた。
何よりその漫画は分かりやすかった。
短い言葉で感情に訴えかけ、読み手自身の心でハッと気づかせてくれるような表現の仕方が特徴的だった。

「この漫画を描いた人はどんな人なんだろう」
思わずインターネットで作者の方の経歴を調べてみると、「漫画家としては珍しくコピーライターの経験がある」という一文が目に止まった。
コピーライターとはなんだろう。
コピーライターになればこの漫画のように、人の心を動かす表現ができるようになるのだろうか。
だったら私もコピーライターになりたい。
そして自分が救われたように、苦しんでいる人を救えるような人になるんだ。

◎          ◎

この日から八年の時が過ぎた。
現在の私はコピーライターとして働きつつ、最近では心理カウンセラーの資格も習得した。
後から気づいたのだが、コピーライターの仕事はあくまで「言葉の表現技法」を磨くものであり、そもそも「心を楽にする知識」を知らなければ表現すらできない。そのため、ここ数年は知識の習得のため、心理学の本を読んだり、勉強会に通ったりしていたのだ。

心理学の知識を学び過去の見方が変わったこと、そして時間が苦しみを癒してくれたというのもあり、今の私は随分過去の自分を受け入れることができるようになった(といっても冒頭で述べた通り、高校生を見るとまだ少し胸が痛むが……)。
あの時この漫画と出会えなければ、視野が狭く常に悲観的だった当時の私は、生きることを諦めていたかもしれない。
そう思うと生きることを続けさせてくれ、なおかつ大好きな今の仕事に出会うキッカケをくれたこの漫画と出会った日は、「私だけの記念日」と言いたいのである。