私は人付き合いが苦手だ。特にそう感じるようになったのは、娘が誕生してからだろうか。
もともと社交的ではなく、自分の世界に閉じこもってしまう人間である。それが娘が誕生し、幼稚園に通い出してからというもの、自分の世界には閉じこもっていられなくなってしまった。

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お友達作りのために、話しかけたり話しかけられたり。時には連絡先を交換したり。遊ぶ約束を取り付けたり、時には断られたり断ったり。「娘のためにも頑張らなくちゃ」と空回りしてしまう。自分のためでなく、娘のために行動する。「娘は娘、私は私」とわかっていても、どうしても焦ってしまうのだ。

周りにいるお母さんたちと比べてしまう。
私は娘のために立派な親になれているのだろうか。幼稚園が終わった後に遊べる友達がいない。帰ってきてから、家で私とふたりきりでは寂しくないのか?なんてことを考え出すと止まらなくなる。止まらなくなって、豆腐のようにやわらかな自己肯定感が、粉々に砕けてどん底に落ちるのだ。

どん底に落ちた後はもう動けない。「もう死んだ方がマシかもしれない」と柄にもないことを考えて、悲しくなってしまう。
そんな時はお暇をいただくことにしている。悲しみや劣等感にまみれた私にとっておきの魔法をかけるのだ。

自己肯定感が低くなってどうしようもなくなった時は、とにかく自己肯定感を上げることをするに限る。とはいえ、そんな簡単に解決するなら苦労はしない。
だから、自己肯定感を取り戻すきっかけを作る。私の場合は洋服とメイクだ。

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誰もいない部屋に、洋服を並べる。最近買った服、気に入っている服、着る機会のなくなった服……等々。思いつくままに着替える。さながら、ファッションショーだ。
姿見の前でモデルのようにポーズを取る。「このコーデありやな」とか「今度のお出かけではこれ着よう」とか考えながらコーディネートしていく。

満足したら次はメイクだ。こちらも机に化粧品を並べていく。どれもお気に入りのコスメばかり。着ている服に合ったメイクを、スタメンコスメと動画でみたテクニックを取り入れて丁寧にメイクをする。

自分の好きな音楽をかけて、誰にも邪魔されずにメイクするのは楽しい。時間なんて気にせず、自分のためにメイクする。そうして完成したらまた姿見の前に立つ。ボロボロに見えた自分が、なんだかピカピカに磨き上げられた宝石みたいだ。というかさながらプリンセスだ……と、冗談がいえるくらいには回復してくる。そうなってやっと、「私って最高な存在かもしれない」と自己肯定感の回復の兆しが見えるのだ。

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私にとって、洋服とメイクは武装だ。行く場所や会う人によって、そのシーンにあったとっておきのコーディネートをする。とっておきのコーディネートは、いつだって最高な自分を演出してくれるからだ。なんなら、その服のイメージに合った人物にだってなりきれる。

しかしながら、疲れてくると武装なんてどうでもよくなってしまう。そうなると、どんなにお気に入りの服やコスメでもくすんで見える。それはとってももったいないことだ。
だからこそ、お暇をいただいて最高に可愛い自分をたくさん作り上げる。自分の好きなものに触れる。どうすれば自分が可愛く見えるのか研究する。必要ならば、運動や多少の食事制限をする。これも嫌なことを忘れるきっかけになるのである。

また、お気に入りのコーディネートを何着かストックしておく。ストックのおかげで、元気がなくなった時に適当な服を選ばずに済むのだ。
何より、とっておきの武装というのは勇気がわいてくる。物理的に自己肯定感を上げに行くのだ。

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どん底の「もう死んだ方がマシかもしれない」から「もう少しだけ生きてあげようかな」にシフトできるように。人前に出ても堂々といられる私であるために。
だから私は、今日も最高の自分でいられるように自分をたくさんコーディネートする。