英語学科を卒業した私は、方向転換をして保育士になった。
保育士を目指し始めたのはちょうど去年の春。就活が始まる、大学四年を控えた私は、まさに人生の分岐点に立っているような気がした。
「企業説明会行った?」「インターン行ってた方が有利だよね」
そんな言葉がちらほら聞こえてくるたびに、私は耳を塞ぎたくなるような衝動に駆られる。
なんとなく英語が好きで、英語学科に入学したけれど、翻訳家になるわけでも英語の先生になるわけでもない。私は、これまで何を学んできたんだろう?入る大学間違えたのかな?
そんな言い訳を並べても、ここでしかできない経験はたくさんあるし、今の大学で沢山の友達に出会えた。だからここに決めてよかった。
なのに、なのに、就職先なんて何も決められない。やりたいことも何もかも。私はまだ学生でいたい。そんなことを思っていても、時は進む。立ち止まっている暇はなかった。
◎ ◎
「やれることを仕事にしなさい」
そんなことをゼミの先生に言われたって、誰だって分かりきったことだ。誰だって難しい仕事なんてしたくない。毎日朝会社に行くのが辛いなんて、そんなために産まれてきたんじゃないし……。
私は、仕事の視野が完全に狭くなっていた。体を動かす力仕事、パソコンに向かう事務仕事、土日休みの仕事につけるなんて運がいいこと、etc。
けれど、大事なことを忘れていた。
「本当に好きなことを、仕事にしよう」
やりたくもないのに販売員の面接を受けて落ちて泣いて、そんなの当たり前だ。あんな自信のない感じで面接を受けたんだから、そりゃあ伝わるものも伝わってしまう。完全にこの会社に興味がない人の顔をしていたはずだ。
私が本当に好きなこと。それは、子供と接すること。
心のどこかで、英語学科から保育士なんてなれないと思っていた。けれど今思うと、それは逃げだった。調べてみると、独学でもいくらでも資格を取る方法はあった。
今からでも遅くない。明日、参考書を買いに本屋に行こう。全てはそれからだ。そう決めてから、いつもは普段と変わらない景色も、キラキラと光って見えた。
◎ ◎
「私、保育士になる」
親友には、その日に報告した。明日参考書を買いに行く。半年後の試験を受ける、それで受かったら旅行に行こう。
そんな唐突の報告に、親友はうんうんと頷いて、翌日大量の参考書を書いに一緒に本屋についてきてくれた。
「毎日ちゃんと勉強するんだよ」
「うん、飲まず食わずで机に齧り付くつもり」
そんな会話をして、親友と別れた。
保育士の勉強は、想像したよりもハードだったけれど、私は自分の本当にやりたいことに向かって走っている心地がした。いま、自分の意思に反してない。本当にやりたくてやっている。そんな心地がしたから、一年後の自分の姿を想像して頑張れた。そしてその秋、私は保育士試験に受かった。
春が来て、放課後等デイサービスに就職した。子供が好きだという理由でこの道を選んだけれど、一か月目にして辞めたくなった。
障がいをもつ子供を放課後に預かり、レクリエーションなどをして手先の訓練などをする事業。知識も何もない私は、全てに圧倒された。人それぞれ、いろんな特性を抱えている。それら全てを理解し、受容し、共感し、傾聴し、毎日が目まぐるしく嵐のように燃えていた。
「この子はそういう特性なので仕方がないですね」
なんだよ、特性って言葉に丸く収めれば何を言っても許されるのかよ、守られるのかよ。
先生なんて嫌いって、このレクつまんない、なんのためにやるの?って。挨拶を返してくれなくったって、それはあの子は愛着障害だから仕方がないねって。何もかもをそうやって許すの?放課後等デイサービスって、こんなにも受容しまくって共感しまくって、職員はストレスを溜める仕事なの?
ストレス過多で死にそうな日もあった。明日こそやめてやろう。何を言い訳にしよう?私は子供なんて手に負えませんでした?そんなんだったら、あの日保育士になろうって決意した日々が無駄になってしまう。
◎ ◎
グダグダ考えながら、気がつけば十月も終わりがけ。四月から七ヶ月、生き残った。楽しいことも、泣きながら電車に揺られる帰りも、スキップしながら達成感を感じてまた明日も頑張ろうと思える日も、いろんな日があった。
帰りの電車ではみんな疲れた顔をしている。みんな色んなところで色んな今日があって、そうやってがんばって乗り越えているんだ。
「先生、うちね。先生のことお家でも話すんだぁ。今日も手握ってくれたなって。優しくしてくれたなって」
帰りの電車で、今日のことを思い出す。そんなことを呟いてくれたあの子は、足が不自由でみんなと同じようにまっすぐ歩けない。だから、時々思う。私にできることはなんだろう?この会社に入った意味はなんだろう?できない理由を探すのではなくて、私にしかできないことってあるはずだ。
彼女の笑顔が、脳裏に浮かぶ。私はこの仕事が、気がつけば好きになっていた。