大学卒業後、美容部員として入社した私は、会社でこのような研修を受けた。
内容は「これまでにされたことがある不快な接客」についてディスカッションを行うというもの。
各班で話し合ったものを、美容部員の同期120名近くいる会場で発表していくという流れだった。
私の班のメンバーは「そんなことあったかなー?」「えー!思い浮かばない!」などと首をひねっていたのだが、私にはピンとくるエピソードがあったので話すことにした。

そのエピソードを聞くや否や、私の班のメンバー全員が「えぇ!?」と、声を揃えてドン引きしたため、研修を取り仕切るトレーナーがマイクを通してこちらの班に声をかけた。
「吉川さんの班、盛り上がってますね!よかったらエピソードを聞かせてもらいましょう!」

そんなトレーナーの興味津々な明るい表情も一変させ、会場にいた全員を不快感の渦に陥れたエピソードを話そうと思う。

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大学4年生の冬休み、学科もバイト先も同じ友人・サイカと卒業旅行に行くことになった。
生まれも育ちも東京都内の彼女は、「リサの実家に遊びに行きたい!」としきりに言うので、私は帰省を兼ねてサイカと地元・福岡へ飛び立った。

早速、実家でお茶をしながら、母を交えた女3人で福岡の話に花を咲かせた。
サイカが「水炊き食べたいんすけど、どこかオススメありますか?」と目を輝かせて母に聞いた。
あいにく、母は札幌生まれ。福岡には結婚して数年経って越してきたので、福岡のグルメ情報は詳しくない。
「リサは思い当たるところある?」と、サイカがキラキラしたまなざしをこちらに向けた。
残念ながら、私が知っている水炊きのお店は全国に展開しており、銀座でも新宿でも食べることができる。

母が頭をひねってようやく思いついた。
「サイカちゃん!おばちゃんがPTAの集まりでママ友とランチ会する料亭があるんだけど。そこは博多の地鶏を売りにしてるから、水炊きがあると思う!」
サイカは「よし!今日の夜ご飯はそこに食べに行きたい!」と言った。

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その日の夕方、サイカと私は2人で、九州最大の繁華街と言われる天神へ向かった。
あと数か月したら社会人。
しかし、大学生の分際で背伸びして足を踏み入れる料亭は、胸が張り裂けそうなくらい緊張した。

心拍数と連動するかのごとく、エレベーターでお店へと上がる。
エレベーターの扉が開くと、「こんな小娘2人が何しに来たんだ?」と言わんばかりの目つきで、中年の仲居が紫色の物を着て立っていた。
つま先から頭のてっぺんまで、じろりと品定めをしたのちに、「2人?どうぞこちらに」と中へ通された。
「やっぱりうちらには場違いだったかな?」とサイカと話しながらも、案内された席に着いた。

席につくと、驚くことにメニュー表を投げて寄越してくるではないか。
短気な私は「は?」という目つきで中年の仲居をにらんだが、鼻で笑った彼女は裏に戻っていった。
周りの席を見渡すと、客層は中年の夫婦や、お孫さん連れのおばあさま。確かに私たち“小娘2人組”は場違いだったのだろう。
しかし、あの中年の仲居以外のスタッフは礼儀正しく普通に接客しているように見えた。
すでに気分は悪いが、座ってしまったからにはと注文をした。

サイカが食べたかった、念願の博多の水炊き。
届いた品はホカホカの湯気が上がっていたことは記憶しているのだが、味を全く憶えていない。
食べた気がしなかった。
そそくさと平らげて会計に向かうと、またあの中年の仲居がいるではないか。
またまたレシートも投げて寄越す始末。

怒り心頭した私は、帰宅後にこの料亭の支配人にクレームのメールをいれた。
しかし、「決済された時のレシートはまだお持ちですか?」という、すっとんきょうな返信が来て、呆れてこれ以上怒る気にはなれなかった。
今思えば、レシートにあの仲居の名前が記載されていたのかもしれないのだが、そこまで説明してくれていたらこちらも対応できたのに。

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「接客ひとつでせっかくの料理も思い出も台無しだった」というオチで、私のエピソードトークは終わった。
会場は「そのお店ヤバすぎ」「仲居さん、ありえない」という引き具合と、まあ上手いことエピソードを語った私への拍手が入り混じった(あの研修以来、班が違った同期から「話が上手かった子」という代名詞で認識されていたのは少し嬉しかった)。

現在は25歳、社会人4年目。
あの頃から3年の月日が経った。
その間に、六本木の高級フレンチ、上質な近江牛の専門店、金沢の寿司屋で素敵な接客と料理を堪能する機会にも恵まれた。
だからこそ、あの接客が料理の味を書き消したのが許せない。
味の記憶を上書きするべく、次の帰省であの店の水炊きを食べに行こうか悩むところだ。