私は本番に弱くて、最後の最後に気の緩みがでてしまう。
例えば、模試でA判定が出ていた第一志望の大学の受験に失敗したり、学業の傍らでやっている音楽活動でも、初ライブのとき、大好きなthe beatlesの「yesterday」で、頭が真っ白になってギターを押さえる指が動かなくなったり……。
振り返ってみると、学業も音楽も、ちゃんと目標を達成したことがなく、中途半端なままだった。
しかし、それは過去の自分である。私は最近、ある一つの夢を叶えた。
それは気象予報士になることだ。
地球について全部知りたい。難関の気象予報士資格取得を目指した
幼いころから自然科学に興味があった私は、自由研究で宇宙について調べたり、山奥で蜂を捕まえて標本を作ったりと、自然と触れ合い、地球の遥か彼方を想像しながら育った。
そして、中学生くらいの時から気象の世界への憧れを持ち始めた。
当然のごとく、大学は理系学部に進学した。大学では地球惑星科学や気候学に関する講義をたくさん受講した。そして、現役の研究者の話を聞いているうちに、私はこう思うようになった。
「地球という惑星が好き、この美しい惑星の仕組みについて全部知りたい」と。
こんな思いを胸に、海洋物理を扱っている研究室に進み、海洋という視点での地球の特性を学びはじめた。
そして大学4年の秋、地球について知るためのもう一歩を踏み出すことにした。それが気象予報士の資格を取ることだった。
難関国家資格として知られる気象予報士の試験は、学科試験2科目と実技試験で構成され、1月と8月の年2回。合格率は驚愕の5%前後だ。
それは大学受験以来のいばらの道だった。
「冷静に、冷静に」。来る日も来る日も過去問を解き続けた
最初の受験の約3か月前から試験勉強をスタートさせた。
学科試験はマーク形式であるため、出題範囲をできるだけ網羅するように学習し、知識の穴を作らないように心がけた。不安材料は実技試験だった。採点の尺度が想像しにくい記述式の問題は、独学で勉強する私を悩ませた。
それでも最後まで気を抜かず、自分の力を出し切ることを誓い、最初の受験に臨んだ。
結果は不合格だったが、学科試験のみ合格し、学科試験免除の切符を手に入れた。
大学院の研究など他の勉強をしているうちに、時間はあっという間に過ぎ、気づけば次の試験まで残り2か月になっていた。焦った私は来る日も来る日も過去問を解き続けた。
雨の日も風の日も、お腹が痛い日も、土曜日曜祝日も。世間がオリンピックに夢中になっている傍ら、天気図に夢中になり、苦手なところを徹底的にあぶり出し、克服し、回答のコツを見つけ出した。
そして、来る第56回気象予報士試験の日、お気に入りのワンピースに身を包み、決意を胸に試験会場へ向かった。空は雲行きが怪しく、気持ちを暗くさせようとしてきた。
席についてしばらくすると、問題が配布された。試験開始の合図とともに、問題用紙から数枚の天気図を切り取る音がびりびりと一斉に鳴り出す。
ぴりぴりとした緊張感、かたかた聞こえる鉛筆の音、分厚い問題用紙、見るもの、聞こえるもの全てが私の緊張を煽る。「冷静に、冷静に」と自分に言い聞かせ、1問1問解いていった。
実技試験は問題量が多く、時間との勝負。わかってはいたが、やはり時間が足りなく、終盤15分は焦りの頂点。その焦りを鎮める余裕はないまま、試験は終わってしまった。
間違えた自覚のある問題もあったが、持てる力は出し切った、そう思える手応えだった。
もっと大きな場面も乗り越えていけるはず。努力を惜しまず生きていく
およそ1か月後、プレッシャーと不安の中、試験結果の通知を見た。
結果は合格。私は夢を一つ叶えることができた。
そして、大事な場面で失敗してしまう自分から一歩脱却できた。これからもっと大きな場面を乗り越えていけるはずだ、そんな自信を得ることができた。
楽な道のりではなかったが、努力して、もがき苦しむことも悪くないと今では思う。
どんなに難しい夢も、どんなに小さな夢も、自分らしく生きるエネルギーだ。
まだまだ続く私の人生、気象予報士として世の中の役に立つこと、ワンマンライブをやること、マイホームを建てること、地球という惑星についてもっと深く知ること、小さな夢から大きな夢までたくさん残されている。
理想の自分になるために、強く美しく生きていくために、努力を惜しまず生きていこうと思う。