私には譲れない夢がある。その夢を、家族には何度叶わないと言われ、諦めなさいと言われたことだろう。それでも、夢を諦めきれないまま大学生になった。
私の夢は小説家になることだ。それも、誰かの心に届く小説を生み出せる作家になること。

◎          ◎

中学生の時に親に夢を告げて笑われたのを機に、人前で夢を語れなくなった。友人に、夢は?と聞かれるたび、適当に生きていけたらいいかな、なんて嘘をついてきた。
はじめはその場しのぎの嘘だった。しかし、そんなことを言い続けるうちに、本当の夢を見失いかけていた。誰かのために生きたほうが無難な人生を送れるのではないかと考えたこともあったほどだ。
実際、夢を諦めて安定した職を希望する友人が近くにいた。それは、叶わない夢を追いかけることへの悩みの末の決断だった。挑戦して生きるより、安定を選びたい。その光景が、私に頭を抱えさせた。

けれど、そんな私に結果が夢に向き合わせてくれた。
高校3年生で公募の最終選考に残ったのだ。
最終的に受賞には届かなかったが、それでも大きな一歩だった。少しだけれど、自分の努力が報われた気がした。それを機に、夢に挑戦し続ける楽しさを改めて感じた。
叶わない夢かもしれないけれど、夢を追う楽しさも捨てるのは面白くない。これが私の出した決断だった。

◎          ◎

応募の時点で両親に許可を取っていたから、勿論結果を報告した。すると、それ以降ほんの少しだけ理解を得られるようになった。
それでも、本当の戦いはここからだ。両親は執筆のことを遊びだと言う。しかし、現段階ではその通りだと思う。実際、誰かの心に届いているわけでもない小説の執筆に時間を割くのは無駄だという考えもわからなくはない。それはただの自己満足なのだから。
自己欲求を満たすためだけに小説を書き、それを自分で消費する。自分でも納得するくらい、遊びであった。
けれど、元はと言えばそれは両親の解釈であり、それを逃げる理由にしてはいけないと思う。
他人は他人。自分は自分。見ている景色も価値観も全てが違うものを、全てを分かり合おうとするのが間違いではないか。

それに、誰からどう思われようと私は執筆を続けたいという強い意志がある。
ひとりで描き続けることは孤独との戦いでもあり、苦しみの方が多い。それでも、私には夢がある。実際、どんな時も描き続けてきたという事実がある。
誰かに馬鹿にされても、過去の自分と今の自分が唯一の味方でいれば独りではない。
悔しいけれど、家族にも夢への想いを結果で示していくしかないことを、高校3年生で改めて実感した。

◎          ◎

これからどれだけ努力しても越えられない壁や、頑張ってきたことを後悔する日が来るだろう。だからといって、それを諦める理由にはしたくない。
いつか結果を出せた時、過去の自分に誇れる自分でありたい。
この思いを持ち、走り続けられる限り、ただひたすら原稿と向き合い続けたい。