「Together & Alone」 という言葉が好きだ。
「二人きり」を意味する「alone together」という英熟語があるようだが、「Together & Alone」はニュアンスがちょっと違う。
「いっしょに、ひとりでいる」という訳し方が、わたしの肌には合っている。そしてその発想自体、とても素敵だと思う。
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わたしと夫の共通項は少ない。
せっかく美味しいお酒を買ってきても、夫は下戸だから飲めない。夫はカードゲームが好きだけど、わたしはそのルールもわからなければ興味も持てない。
YouTubeを開いても、わたしはお笑い芸人やアイドルの動画ばかり。夫はゲーム実況、外国人配信者の生配信、たまに難しそうな数学の動画とか。わたしは夫が見る動画をシンプルに理解できないし、夫もなぜわたしが動画を見てそんなに笑うのか、皆目わからないようだ。
料理を作り置きしておいて、お弁当や後々の食事に活用することにわたしは全く抵抗がない。けれど夫は、できれば作り立ての温かいご飯を食べたいと言うから、わたしの用意した作り置きには手をつけない。
わたしは生きていれば髪の毛が抜けたり、フケや垢のような老廃物が出るのは(汚いけれど)仕方のないことだと思う。夫はそれを許容できず、生活空間が一定程度清潔に保たれていることを望んでいる。
わたしが小説を読んで興奮したり感動したりしていても、彼がその感情を追体験してくれることはない。基本的に彼は本を読まない人だから。
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わたしと夫はつい最近、同居生活を始めた。だからここ最近、「わたしたちはこんなにも違う人間だったのか」という発見には事欠かない。
共通の趣味もほぼないし、同じ体験を同じ瞬間に共有したいと思うこともほとんどない。
それでも円満に同居生活を続けられるのか?――この問いに対して、今のわたしの持ちうるベストアンサーが、冒頭の「Together & Alone」である。
同じ体験を同じ瞬間に共有することが難しくても、違う体験をしながら、同じ瞬間を共有することはできる。
わたしたちは、同じ空間にいるのにふたりともイヤホンをしていることがままある。わたしはお笑い芸人のラジオを聞いているし、彼はゲームの生配信を流し聴きしている。
ふたりともイヤホンをして、お互いどんな感情を抱いているのか知らないまま、駅までの道をいっしょに歩き、同じ電車でとなりどうしに座り、目的地まで違う体験をしながら、同じ場所を目指す。
まったく違うことをしていても、それでも「今そこにいる」彼のことをわたしは知っている。その逆もまた然りである。
たまにイヤホンを外して、目線を送ってみる。目線に気づかれる時もあれば、ガン無視されることもある。お互い様だ。彼が目線に気づいてイヤホンを外し、「ん?」と目で問いかけてきた時、わたしは「楽しい?」と聞いてみる。
「うん」「別に」「全然」「まあね」返ってくる答えは様々だ。その答えと、彼の目の色のバリエーションをわたしは楽しんでいる。
彼から目線が送られていることに気がついた時、わたしもイヤホンを外して、「ん?」と聞いてみる。
「何聞いてるの?」「おもしろい?」「楽しい?」と彼から確認され、答えられる範囲でわたしは丁寧に答える。そしてやり取りに満足したわたしたちは、再び自分の耳にイヤホンを装着する。
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「ひとりで、ひとりでいる」ことももちろんできる。それもそれで良い生き方だ。
それでも「いっしょに、ひとりでいる」ことを選んだ結果、今の生活がある。
とにかく「いっしょにいる」ことが大切だと思ったからだ。
なんでも合わせようとしなくていい、合わせるのがしんどかったら自分ひとりで動いていい。それで長くいっしょにいられるなら、それが一番良いじゃないか……とわたしは思う。みんなはどう思うのだろうか。