「プレゼントなんていらない」
クリスマスの朝、小学2年生の私は泣きじゃくった。

私には、可愛がってくれる伯祖父がいた。転勤が多くてなかなか会えないが、決まってお正月はうちで一緒におせちを食べた。その後は、家族が飽きて相手をしてくれなくなってもなお、トランプで遊んでくれたものだった。

1年生の元日の夜も、次に会えるのは来年かと寂しく思っていた。しかし、2週間ほどした時、伯祖父が倒れたと連絡があった。
彼は肺を悪くしていた。ひとり身だったから、私達家族が入院の手続きやお見舞いなど、看護に努めた。

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初めは伯祖父にしょっちゅう会えるのが嬉しかったが、段々飽きてしまった。お見舞いが退屈で行きたくなくなってしまった。
今思えば、不謹慎で失礼だと思う。しかし、当時は肺という臓器がどれほど重要で、伯祖父の体調がどれほど悪いものか分からなかった。知っても実感をもって受け入れることはできなかった。

それを裏付ける印象的な出来事があった。お見舞いに行くようになって半年以上が経ってから、遺影の写真がないからと、母と祖母による、私に写真を撮ろうとねだらせよう作戦が決行されたのだ。一見陳腐な作戦にも思えるが、写真は嫌いだけど、姪孫バカの伯祖父はあっさりと丸め込まれた。

そのときの私はこれでもまだ、近いうちに、今まさに隣にいる伯祖父が、そのままの笑顔と姿で祭壇に飾られることが分かっていなかった。

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そしてその日は来た。クリスマスイブ。朝、起きがけのうつうつとした意識の中で、今日がクリスマスだと思い至って一気に目が覚める。そうなるはずだった。でもその年は違った。
決して早くはない時間帯だが、祝日に起こすような時間でもない時に、私は母に優しくゆすられて目を覚ました。例年と勝手が違うせいでまだ寝ぼけなまこの私に母が言った。
「おじちゃんが死んだよ」

死んだ?どういうこと?もう、会えないってこと?お話ししたり、トランプしたり、一緒に写真を撮ったりできないってこと?もういくつ寝ると、おじちゃんに会えるんじゃなかったの?
約束してはないけど、そう疑わなかったのに。信じることすら意識にのぼらないほど、私にとっては当たり前だったのに。

母からのたった一言で私の頭の中では色々な思いや感情が入り混じって、混乱した。けれど、最後に浮かんだ言葉で私の思考は止まった。
「つまり、二度と、なにも、これから一緒にできないってこと?」
頭が働かなくなると、今度は涙が溢れてきた。
容体が悪化したなら、なぜ夜、起こしてくれなかったのか。最後に一言話がしたかったのにと母を責めた。死ぬとちゃんと分かっていたらお見舞いだって早く帰ろう、公園に行こうなんて言わなかったのに。もっとおじちゃんとお喋りしたのに。

初めて人の死を理解した私は、何もかもが受け止めきれなかった。ついには、クリスマスが憎らしくなった。

「プレゼントなんていらない。私のプレゼントのかわりにおじちゃんの命を取っていったなら、サンタさんなんてもう、来なくていい!」

トナカイのソリに乗ったサンタクロースを信じきっている年でもなかったが、ただ、誰かに当たりたかった。一人では処理しきれないこの感情を誰かに一緒に背負ってもらいたかった。サンタクロースさえ憎むほどに、私は何も分かっていない、何もできない子どもだった。

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あれから10年以上が経つ。何度か人の死を経験し、薬剤師という命に関わる職業を志すようになって、あの頃よりは死に対する免疫がついたように思う。
けれど、未だに遺影になった伯祖父を見た、あの年のクリスマスは忘れられない。

今も見るのだ。焼かれて骨になった伯祖父が、サンタの帽子を被り、ベッドの上で私の方を振り返る姿を。姪孫に退屈だと言われて寂しそうな、その真っ黒な両眼を。