今年の10月の終わりに、心の調子を壊し、そのまま休職した。調子が悪くなりつつあったのは、そのもっと前からで、夏くらいから日常生活がままならなくなりつつあった。まずは、テレビとか音楽とか、娯楽が楽しめなくなった。
その次は、ご飯を作って食べるのが面倒になった。入浴することが億劫になって、仕事から帰宅して息絶え絶え化粧だけ落として、寝てしまう生活が続いた。休日までも疲労は波及して、一日寝込むことが多くなった。まだいける、まだいける、と誤魔化しながら、見ないふりをしながら、日常を過ごしたガタが、ついに来た。
何が好きか忘れてしまった私は、音楽を聴きながら歩くことから始めた
休職してすぐは、時間ができたことを喜ぶよりも、仕事を長期的に休むという喪失感と罪悪感が勝っていた。一日なんのやる気も起きなくて、何とか時間をやり過ごそうと、寝続けた。起きていると不安になるので、頓服薬を飲んで、無理やり寝た。
お医者さんには、楽しいと思うこと、好きなことをして過ごしてください、と言われていた。けれども、健康だった時になにが楽しかったか、なにが好きだったか、そうした感情がもうすっかり自分のなかから抜け落ちてしまっていた。
1か月の休職期間を過ごして、段々と調子が戻ってきた。体調の波はあるにしろ、三食食べられるようになり、入浴も睡眠もとれるようになってきた。そうして余裕が出てくると、自分の中の「好き」や「楽しい」がまあまあ埃をかぶって、恨めしそうにこっちを見ていることに気づく。えーっと、わたしは何が好きだったっけ? 楽しいってなんだっけな、なんだっけ。
散歩、歩くことがいい、できたら音楽を聴きながら、というのを見かけたので、まずは習慣だった音楽を聴きながら、歩くことから始めた。病院の行き帰り、買い物の道中、久しぶりに、三か月ぶりくらいに音楽を聴いた。
働いているときは、よく出勤の時に聞いていたが、体調の悪い日や退勤後、休職直前は聴けなかった。その時は気づけなかったが、歩くことしかできないくらい疲れていたんだろうな、と今は思う。
音楽で蘇る生きてきた感覚。嬉しくて部屋に帰ってノリノリに踊った
iPhoneに入っている全曲を、シャッフル再生した。一曲目はキリンジが流れた。とても心地よかった。そうか、音楽って心地いいのか、と思い出した。
そのあと、好きだったももいろクローバーZ、私立恵比寿中学などのアイドルソングを聴いてみた。なんだか気分がすごく高揚した。同時に久しぶりの感覚で涙が出た。
わたしはこれまで、何度も何度も、イヤホンから聞こえるアイドルたちに励まされて、慰められて、てくてく歩いて、いろんなものと戦って、働いて、生きてきた感覚が蘇って、わたしの気持ちを明るく鼓舞した。
その後、帰宅しても、イヤホンをつけたまま、アイドルソングを聴いた。一人暮らしの部屋で踊った。そう、身体を揺らすのも好きだった。調子が悪い人とは思えないくらいノリノリに、とっても陽気な気分でひとしきり踊ったあと、音楽を止めて、イヤホンを外した。「あーっ楽しかった」とベットに横たわって、段々自分の「好き」と「楽しい」を取り戻しつつあることを心から喜んだ。
アイドルが好きだ。ステージでも、ステージを降りても、身体の内側からあふれんばかりの輝き、絶え間ない努力の結晶である輝きを放って、人々を魅了するアイドルたちが、その姿が、その姿勢が大好きだった。
ただ、日常で疲れ切ったわたしにはまぶしすぎて、触れることができなくなっていた。ぼろ雑巾みたいに、生活すらままならない惨めな自分と比べてしまって、触れられなくなっていった。
自分の生活を守るために、今日も私は満面の笑みでステップを踏む
別の日、たまたま見ていた番組でエクササイズのコーナーがあり、ラテンエクササイズが紹介されていた。なんだかまた、身体を動かしたくなって、真似してみた。腰を左右に振りながらステップを踏んだ。ぽかぽかあったかくなってきた。おお、いいじゃん、と思って、もっと踊りたくなった。その時、そうだ、わたしの好きな、踊る偶像が、身近にいるじゃないか、と思いついた。
ユーチューブをテレビに映して、振りコピーできそうなアイドルソングを調べた。一生懸命、見様見まねで、それこそアイドルになりきって、どたばた踊っていたら、とても楽しかった。
なにより、真似するアイドルたちがはじけんばかりの笑顔で、いろんな表情をしていて、釣られてこちらまでにこにこと踊った。何曲か踊り終えて、ちょっと汗ばんでいて、いい運動になった。ハマりそうだなあ、いい習慣かもしれない。にこにこ手足をばたつかせながら踊っている人間は、悩んだり気を病んだりしにくいと思う。いいストレス発散にもなりそうだと思った。
好きと言う気持ちは、自分に余裕、余力がないと見失ってしまったり、おざなりになったりしてしまう。そしてそのことは、いつしか生活ややるべきことに追われる内に忘れてしまう。そうして好きが蔑ろになると、だんだん生活を回していく元気も失われていって、生きていくのもしんどくなる。
アイドルと共に踊れるくらいのエネルギーは、確保しよう。自分のために、自分の生活を守るためにも。わたしは引き続き、どしどしとフローリングの上で、決して軽やかではないステップを踏みながら、満面の笑みでそう思った。