9時から18時。今日もきっちり都内某所で仕事をしました。
ありがたいことに、年間を通して残業禁止のバックオフィス系の部署に配置されています。
それどころか、適応障害で半年休職しても首を切らずに置いてもらっています。

ですが、「今の仕事、好きですか」と聞かれたら、迷わず「嫌い」と答えるでしょう。
「労働はクソ」と、どこかのアニメで聞きました。キリスト教圏では「労働は罰」という考え方もあるようです。
全くもってその通りだと思っています。
学生時代のコンビニアルバイトの時から感じていたことですが、どんな職種であれ、労働は非常に疲れます。そこが嫌いです。

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私は「労働は人間としての義務」とも思っています。
10年ほど前ですが、ニートの時代がありました。
学生でも、アルバイトでもない。就活も就業訓練もしていない。そんな時期が半年間ほどありました。
二十数年生きていますが、その時期が一番つらかったです。
何よりつらいのは、「なんの義務も負っていないこと」でした。
朝起きて、何をするでもなくぼーっとする。ネットサーフィンをする。猫を撫で回す。昼寝をする。それで1日が終わっていました。
当時は持病のおかげで何の気力もなかったので、それでよかったのかもしれません。
ですが、それを半年も続けて、少し気力が戻ってくると、世界から一人取り残されているような感覚が襲ってきました。

数少ない友人達は仕事をしたり、大学で勉強したりしているのに、いったい私は何をしているのだろう。
何の責務も負わないで生きているけど、いつまでこれが続くんだろう。
何より何もすることがない、お金もない、これからどうやって生きていこう。そんな気持ちになっていったのです(幸いこの後、アルバイトを始めたり、再び学生になったりしていました)。
別のアニメでは、「休息は、生活の基盤たる労働の上に成り立っている」とも聞きました。まさにそんな感じです。

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何度考えても、どんな職種であろうと、たとえどんな「好き」を仕事にしていようが、労働は総じてクソです。しなくていいなら絶対にしたくないです。
ですが、私にとっては義務です。お金ややりがい以前に、「何かをしている」ことは、精神の安定に繋がると思っています。
何より、1年間の就活で必死で探して、ようやく引き当てた労働環境のいい職場です。どんなに労働が嫌でも、辞める気はありません。
1日8時間仕事をして暇を潰せば、精神衛生上悪いことは起きないし(コミュニケーションはどうにもストレスですが)、なんと生活に必要なお金ももらえます。誰かに職業を聞かれても、東京で会社勤めをしていると伝えれば、「一日中暇な生活を半年続けています」よりかは、とりあえずまともな人に思えもするでしょう。

私のような人間には、労働は精神を保つために必要不可欠な要素なのです。
なので、明日もきっちり8時間労働をこなして、泥のように眠りたいと思います。