大学卒業後、メーカーに総合職として就職してもうすぐ3年経つ。この3年での労働に対する考え方の変化について書きたい。
仕事は食べていく為の手段から、達成感や安心感を味わえるものに
就活生時代の私にとって、労働の一番の意味は食べていく為の手段であった。自己分析の結果、働かなくて済むのであれば働きたくないという結論にすら達していた。
そんな状況なので、志望理由として並べるのは建前だらけで、本音は安定・転勤無し・競争無し・そこそこの給料といった、労働に対して消極的なものしかなかった。
行きたい業界を明確に持っており、無事そこに就職して行った友人達を見て劣等感に苛まれた時期もあったが、自分の中では、業界はどこでもいいのである程度稼いで、趣味の映画鑑賞・読書や旅行に費やせる時間も作れる、ということが重要であった。
今から思うと、自分が採用側だったらこんなに意欲のない人間は絶対に採用したくない。採用してくれた会社には感謝すべきなのかもしれない。
しかし、3年間働いて、労働の目的がお金だけではなくなった。もしいま宝くじで一生過ごせる額を当てても、私は働くことを辞めないと思う(相変わらず職種に拘りはないので転職は厭わないが)。
仕事において得られる達成感や組織に貢献する快感、苦労を共にすることで生まれる人との結束のようなものが、生きていく上で必要だと思えるようになったからである。一見解決の糸口が全く見えない問題や、突然発生するトラブルは関わるだけで気が滅入るけど、それをなんとか処理した後は、安心感と心地いい疲労感があってこれは仕事以外でなかなか感じる機会がない。
日常で自分が好んで困難に立ち向かうような事がないからかもしれないが、この感触は仕事を通じて定期的に得たいと思う。それに仕事において上司や同僚に自分の貢献が認められるのも純粋に嬉しい。
職場で辛い事や大変な事を乗り越え、今では精神を健やかに保つ場所に
男職場で自分が女だからか、初めは全く信用されておらず仲間外れにされているような感覚もあったが、段々と仕事を依頼されるようになったり意見を求められるようになるのは嬉しかった。自己承認欲求を満たす、というと傲慢に聞こえるが、私にとってそれは精神を健やかに保つために必要だ。
それに、職場には性格も考え方も様々な人がいるけど、仕事を一緒にすると不思議と結束が生まれる。これは部活動や、アルバイトの時代から感じていたが、私はこの関係性が好きだ。
一緒に辛い事や大変な事を乗り越えると、気づいたら安心感のある場所になっている。理解できない人間もいるけど、3年経つと諦めと割り切りでやり過ごせるようになった。これは良いのか悪いのかはわからないが、諦めと割り切りは精神を安定させる。
今後の目標は、仕事でそこそこのお金を稼ぎ精神の安定を保ちつつ、プライベートの時間を充実させることである。
古典から海外のもの含め、本をたくさん読みたい。前から興味のあった語学(英語・韓国語)を勉強して、旅行先での会話に役立てたり、あわよくば映画、小説を原文のままで楽しめればな、とも思う。弾きたい曲が何曲かあるので、昔習っていたピアノを再開させたいとも思う。遠くに住む学生時代の友達にも会いに行きたい。
今の生活に満足しているので、やりたい事を仕事に、の風潮に対する劣等感も今はない。そういう仕事をする友人のことは相変わらず尊敬しているけど、自分は自分の働き方に誇りを持てている。