楽をして稼ぎたいと、常日頃から思っていた。働かずとお金が手に入ればどんなにいいだろうと。
だけど一方で、お金の問題がクリアされてもう働かなくてよくなった時、私は胸を張って生きられるだろうかと思う自分もいた。

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やりたいことがある人、夢がある人は、それに費やす時間が増えたら幸せだろうと思う。でも、私にはコレといって特にない。もちろん夢もあるし、やりたいこともあるんだけれど、きっとね途中で飽きちゃうと思うんだ。私の性格上。そんで怠けて怠けて……。あぁ、想像するだけでも体が衰えていくようだ。

私にはこうなりたいという夢がない。プロ漫画家だとかプロ作家だとか。なれたらいいなと思う夢はいくつもあるけど、必ずなるんだ!という気概はない。
なりたいものがないからとりあえずお金を稼ぐ仕事をしている、そんな認識だった。

でもこの頃、その認識が少し変わってきている。
そもそもプロと名乗れる人は何をもってしてプロというのか、成功者と呼ばれる人は何をもってそう呼ばれるのか。それは、紛れもなくお金である。その仕事で食べていけるかである。その人たちも私と同じお金を稼いでいる。なりたいものがない私とプロの人たちは、同じものを得ているのである。
そのことに気がついたとき、私の仕事に対しての精神的怠さが抜けた。やりたいことがなく目標がない私だから、会社というブランドの威を借りてやっとプロにしてもらった。
そう思うと自分の情けなさ加減にも苦笑いが漏れるけど、とりあえずプロなのだ。そう思えば俄然勉強欲も湧いてくる。

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そして、もう1つ気づいたことがある。それはお金というのが人の感情に比例しているということ。
人が喜んだらお金が動く。売上は喜んでくれたバロメーターだ。
もちろん恐怖で動かされるお金もあるけれど、私はそういうお金を稼ぎたくはない。眼の前の人が喜んで出してくれるお金を稼がせてもらう。

どの道を選んだとしても、お金を稼ぐことはプロのやること。その意識に気付かず毎日を過ごしていたら、だるくなってくる。そして疲れてしまって楽をしたくなる。だから以前の私は楽して稼ぎたがった。
だけど楽して稼ぐにしろ何にしろ、お金を稼ぐということは人の感情を動かすということ。そして、それが出来るのはプロの技だということ。

辛いものだった仕事は今や私の成長の一部となった。それだけでぐぐっと距離は縮まった気が、するのだけれど。
あとはこれを継続して思えるかが今後の鍵になるだろう。