「大学まで出したのにこの娘はなんてことを……」と親に泣かれたとしても、社会不適合者だとバカにされたとしても、声を大にして言いたいことがある。
願わくは、働きたくない。
私がこんなことを言うのは、日常生活の全てが困難になった経験があるから
こんなことを言うと、人生なめんじゃねーよ!と社会人の皆様にぶん殴られそうなのだが、その拳は一旦おろしてくださいませんか。この「働きたくない」という想いには「心身を疲弊させてまで」という前提がある。
私は新卒2年目で突然体調を崩した。
食事、入浴、身だしなみ、日常生活で何も考えずに行っていたありとあらゆることが、全くできなくなった。重力に逆らえず布団に張り付いたように横たわる日々が続き、生きる気力はとっくに潰えていた。大切な家族、友人、恋人はいたが、彼らが悲しむのはせいぜい2週間だろうと思い、この世から姿を消す準備までしていた。そしてそんな自分に嫌悪し泣き続けた。
生きるためにはお金がかかる。お金を稼ぐために会社員として働いていたが、お金を稼がなければいけない理由がなくなったので仕事を辞めることにした。
体調を崩した大きな要因である仕事から離れると、毎日お風呂に入れるようになった。久々に鏡を見ると頬がこけた自分の姿が映り、食事を取ろうと思えた。歯を磨くと爽やかな気分になった。ずっと閉め切っていた窓を開け放つと、風が吹き込んで季節が変わったことを実感し、嬉しいと思えた。そしていつしか、生きたい!とは思えないままだが、消えたい!とも思わなくなっていた。
不調な時は趣味にも関心を持てなかったが、調子が良い日には好きなことに取り組めるようになった。好きなテレビ番組の視聴、読書、時には日が暮れたことにも気づかず絵を描き続けた。そして、また文章を書くようになった。
「お金のため」に働かなければならない そう思い込んで出版の夢は忘れた
物書きになって本を出版したい。
どうせ叶わないと思いつつも、そんな夢を子どものときから抱いていた。でも、ある程度成長して現実が見えてくると、生きるために必要な金を稼ぐなら夢なんて追いかけていられないと思い知らされた。大学を卒業したら会社員になるのが当たり前、それ以外の道は邪道だと言わんばかりに大学のキャリアセンターは企業求人を勧めてくる。企業への就職こそ正義という思想に簡単に染まった私は、働くのは金のため!会社員以外の道はない!という思考しかできなくなり、いつしか文章を書いて生計を立てる夢は忘れ去っていた。
そんな私は仕事を辞めて文章を書いていると「あー生きている」と感じた。それでもやはり生きたいという欲望は生まれなかったが、あることを思うようになった。
ふと気づいた、私にとって「働く」本当の目的はお金じゃない
生きるためにお金が必要であることは間違いない。だが、どうしても生きたいわけではないからお金は必要ないよな。てことは、お金は稼げそうにないけど、書くことを仕事にしてもよくないか?と。
書くことを仕事にせずとも、趣味として楽しむだけでもいいのかもしれない。でも私は仕事にしたかった。せっかく今は生きているなら、仕事として文章を書き残し、一人でも多くの人に届けたいと思った。
そして気付いたのだ。
私にとって働く理由は、生きるためのお金を稼ぐことだと思っていたけれど、それは世間の目を気にした結果に過ぎない。本当は、自分の思うままに生きたいから、働くのではないかと。
心の不調を経験したからこそ、生きたくないと真剣に思って泣く日々はもうこりごりだと感じる。願わくは、心身を疲弊させてまで働きたくはない。でも、自分の気持ちに正直に向き合い、忘れられない夢があるならば、それを仕事にしたい。