我が家の卵焼きは、塩辛い。
表面は、ちょっと硬くて黄色というよりは少し茶色。それが私の母が作るいつもの卵焼きだった。

母の作るお弁当は茶色のおかずが多く、あまり好きではなかった

幼い頃、私は母の作るお弁当があまり好きではなかった。友人のお弁当は、カラフルなカップに入れられた色鮮やかなおかずたちばかり。それに比べて私のお弁当は、歳の離れた兄に合わせた内容で、銀色のアルミカップに入った茶色が多めのお弁当だった。何なら赤色のタコさんウィンナーでさえ、唐揚げと一緒に揚げられて少し茶色くなっていた。
そう、私の母は大雑把な人間なのである。

朝食の定番はお弁当用のおかずの余り。卵焼きは毎日のように出ていて、よく残していた。友人宅でお泊まりの時に出してもらったフレンチトーストやサンドイッチが食べたいと文句を言ったこともある。
今思えば、そういうヨソの家庭も適当な朝食の日だってあっただろうに。上辺だけを見て、ヨソを羨んで、母に当たって、まぁ思春期特有の反抗もあったのだとは思う。

私は大人になり、遠方で働いていた。お弁当は、自分で作るようになっていた。毎日、自分の好きなように作ることができるお弁当や朝食は、割と満足な出来だったように思う。
そして、そのままその地で結婚することになった。夫にもお弁当を作るようになった。夫も喜んでくれていたし、母の作るお弁当より彩りも味も良いよなぁと自画自賛していた。

妊娠、出産は思っていた以上に辛く、心労は溜まっていく

そして、さらに時は流れて私は妊娠した。初期の頃からとにかくつわりが酷かった。食べられるものがほとんどなく、あってもその日の体調によってころころ変わってしまう。
へろへろだった。遠方にある実家には頼れず夫は多忙で、一人で乗り切るしかなかった。思えば、この頃から心労は溜まりつつあったのかもしれない。

夫にも産まれたばかりの子どもとふれ合ってほしいと考えて、里帰り出産はしないと決めていた。そして、無事に出産を迎えた。

初めての出産は、思っていた以上に壮絶だった。短時間でしかも安産だったと言われたが、それでも陣痛中は痛くて痛くて叫びまくっていた。
産まれた後は達成感が強かった。そして、やっと一人だけの身体に戻った安堵感のようなものに包まれていた。
でも、産後はゆっくりする暇などない。事前に色々と情報収集して覚悟していたつもりだったが、思っていた以上に辛かった。
そして、予想外のことが起こった。

落ち込み、実家に帰った翌日の朝食には、久しぶりに見る母の卵焼きが

私は、地の底まで落ち込んでいた。
理由は、はっきりしない。何故か涙が止まらなかったり、これから子どもをきちんと育てられるのか、自分なんかにはできないかもしれない、と急速に自信を無くしていた。
子供はしっかり成長していたし、検査も問題はなかった。それでも、落ち込む気持ちは消えず、どんどん塞ぎ込んで行った。
そんな私を見て、夫は今からでも里帰りしたらどうかと私にすすめてくれた。両親は喜んで、温かく迎えてくれた。二人ともまだ働いているため、ずっと側にいることはなかったけれど、育児経験者の両親と一緒に育てられるのは気持ちの面でとても楽になった。

日中、仕事で家にいない母は、私のために食事を作ってから出かけていた。
実家に帰った翌日の朝、そこには久しぶりに見た母の卵焼きがあった。見た目も変わらない。少し茶色い卵焼き。実家を出てからは、たまに帰省してもあまり朝食を食べる機会がなかった為、あの卵焼きとの再会は本当に久々だった。

少しバカにしていた母の不恰好な卵焼きの塩辛さが、身体に染み渡る

子どものお世話が一段落した午前中、用意されたお味噌汁とご飯をよそい、朝食を食べ始めた。一口目にあの卵焼きを食べた。
その瞬間に口の中に広がる懐かしい味。なんとも言えない安心感。あの塩辛さが弱りきっていた身体に染み渡る気がした。今まで心の中で、少しバカにしていた母の不恰好な卵焼き。私の方が上手だな、なんて思っていたけれど、自分はやはりこの味で育っていたんだと思い知る。
泣きそうになった。でも、堪えた。母親になったんだ。私もこの子を支えられるように強くならなきゃいけないと、自分に言い聞かせた。
一口ずつ噛み締めて食べた。疲れている娘の為にと、母が愛情を込めて作ってくれた卵焼き。同じように愛を与えられる存在になりたいと強く思った。

そして、実家から自宅へ戻る日。一緒に朝食を食べた。私からリクエストして卵焼きを作ってもらった。あの不恰好な卵焼きを写真に撮った。何かあったらこの写真から勇気をもらえる気がした。

今まで何とも思っていなかった。いやそう思い込んでいた母の不恰好で塩辛い卵焼きはいつのまにか忘れられない味として私の中に残っていた。