将来の夢、両親の喧嘩…お金はいつも私を失望させた

お金はいつも私を失望させた。失望させることはいつもお金絡みだった。
記憶に残っている一番はじめの失望は、幼稚園児のときだった。
お花が大好きでA4のノートに描いたオリジナルの花図鑑を、年に数回会える大好きなおばあちゃんに見せて、将来お花屋さんになりたいと言った。
「そうなのね。その歳から将来の夢があって偉いわ」と肯定されるものだと信じて疑わなかったが、「花屋じゃ食っていけねえぞ」と冷めた目で言われ、努力の図鑑ノートはむしろ無駄なことだと言われたみたいだった。

一瞬、目に映るものがモノクロになった感覚がした。もしそこに母や叔母がいたら、「お母さん、そんなこと言わないで」と言ってくれただろう。
おばあちゃんに言われたことは現実なんだと悟った。おばあちゃんは大好きだったから嫌いになることはなかったが、そのときから私は相手の欲しい答えを言うような、良い子ちゃんを演じ始めた。

家にお金がある・ないは子どもにでもすぐわかる。両親を見ていれば一目瞭然だ。
昔、父が厄年だからといって神社でお祓いをしたが、今ではもう初詣にさえ足を運ばない。一家の長男でルーツや生まれに誇りを持っているにも関わらず、先祖供養やお墓参りもしない。正月飾りをはじめ行事の大切さや神仏参りはスピリチュアルだと思っている。
そんな父がお祓いをしたあの時代は、きっと羽振りがよかったのだろう。

お金がないときは夫婦喧嘩が増える。朝から怒鳴り合い、嫌な気分で仕事に行く両親を「可哀想」と、これまた嫌な気分で子どもたちも一日を始める。これに長年苦しんできた。
苦しい顔で仕事をし、疲弊して帰宅する両親。父は仕事を楽しむ珍しい人間だが、喧嘩が絶えない時期は仕事でよく事故を起こし、もっと家計を悪化させた。
ピュアな子どもたちは心が病んでいった。私は小さい頃から大人になりたくなかったのに、もっと大人になりたくなくて仕方がなかった。思春期の大事な時期は楽しいことが一つもなく、つまんないから死にたいなとよく思っていた。

好きなことをするのに罪悪感。変わったのは彼のお金の使い方を見て

いつもいつも自分がしたいことがわからなかった。好きなことや、なりたいものなんてなかった。今思うと自分で自分の好きを認められなかったんだと思う。好きなことに没頭することは悪いことだと思い込んでいた。
母が辛い顔をして毎日働いているのに自分は娯楽に浸ってはいけないと、自分も学校に行って、そのままバイトにいくという毎日を高校から大学卒業までしていた。

たくさんお金を稼いだのに、もっとお金を稼ぎたいとは思わなかった。多分母と同じでいたかったのだろう。母と同じような毎日を過ごして寄り添いたかった。そんな私と母はお互い強く共依存していた。

お金の使い方が変わったのは、主人と付き合いだしてからだ。
今を生きず、希望も目的もない将来のためにちまちまお金を使っていた私に対し、彼はやりたいことに惜しみなくお金を使い、その時その時をとても楽しんでいた。
例えば、のろけ話になってしまい恐縮だが、彼は動物園に行くときはいつも、追加料金を払えばできる餌やり体験を必ずする。餌を買って私に渡し、私が餌やりを楽しんでいるのを楽しんだ後、自分も餌やりをする。

彼のお金の使い方は愛があって人を幸せにする。自分がそうしたいからそうするという姿勢は、見返りや損得勘定がなく、受け取る私も気持ちがいい。そして私も彼の笑顔が見たいからと無償の気持ちでお金を使い、次の流れができる。
お金は愛情と愛情の交換なのだと学んだ。

人のためにお金を使えたら最高だ。今の私は低収入で小さな暮らしだが、近しい人の誕生日にはその人が喜ぶことをしたいと、あまり金額を考えないようになった。また、レジ横の募金箱を目にしたときや被災した地域があったら、慎ましい額だが募金をしている。

お金の使い方が少しずつ変わってきてから、「愛情」や「共存」が自分の人生で大切にしたいことだと気づいた。
何かを改革したいというようなことではないが、人は支えあって生きているということ、それに協力して人と関わって生きていきたいという自分の気持ちに気がついた。

米や菓子でお金持ちの気持ちに。頂き物を分け合う幸せ

自分の欲しいものを身に着け、食べたいものを食べ、やりたいことをやる。その人が喜んでくれるかなとお金を使い、喜んでくれたら私も嬉しい。それを繰り返すと、お金が必要になるから働こうと思えてくる。
使うためにお金はあって、楽しむためにお金を使うことがお金との付き合い方だと、20代になってようやくわかった。

お金持ちはお金を貯めず、流すように使うとよく聞くが、いったいどんな気持ちなんだろうと思ったあるとき、ふるさと納税でお米が15㎏届いた。
早く食べてみたかったが、結婚写真を撮るために夫婦でダイエットに励んでいたため、なかなかお米は減らなかった。そこから結婚のお祝いだの、お歳暮だのでお米の袋が山積みになってしまった。
収納に苦戦していたとき、「私は今、お米持ちだな〜」とふと思った。意識しないでも勝手に貯まる。お金持ちはこんな感じなのかなと思っていた矢先、今度は同じような理由でお菓子持ちになった。ちなみにその次は紅茶持ちになった。

お金持ちになる日が来るのかはわからないが、小さなことでお金持ちごっこをするのは、満たされていることの確認と、ちょっとした幸せになっていて自分の中での遊びになっている。
頂き物をよそに差し上げるのは頂いた方に申し訳ないが、傷んでしまっても仕方ないので、感謝の気持ちで手を合わせてからおすそ分けをしている。自分たちで楽しむよりも他の人と分け合う方が幸せが増えて、お金もこう使えたらいいのではと思う。

お金との付き合い方は環境が大きく絡んでくる。負のどん底にいたとき、私は耐え切れず実家を飛び出し、彼の家に転がり込んだ。大分遅い反抗期もあって母との仲は一回険悪になったが、今となっては親離れ子離れをする良い機会になった。
20代後半からお金の使い方を暮らしの中で学んでいる。大分遅いスタートだけど、暗い過去があったから、真摯にお金と向き合える。
お金の使い方は人生そのものだ。これまでを取り戻そうとは思っていないが、後回しにせずすぐやる課の私で、今を楽しみながらこれからも生きていきたい。